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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『暁の蜂起』
暁の蜂起―豪州カウラ収容所 (南方捕虜叢書)暁の蜂起―豪州カウラ収容所 (南方捕虜叢書)
(1982/02)
森木勝

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初版まえがき

スタンレー山脈突入
 サンゴ海の反転
 り号研究作戦
 主力部隊ココダに着く

ポートモレスビーの灯
 おお海だ 海が見える
 突入か後退か
 芋1個の見舞い

闇のジャングルに消ゆ
 ギルワへギルワへ
 敵前50メートル
 砲とともに
 取り残される
 玉砕

ひとつの生命
 担架の上で
 敵味方の差別なく
 病院にて

笑いのない人々
 ブリスベーン陸軍病院
 心の傷
 テーラーとミスター・キシュ
 ブリスベーン訊問所の一日本人
 病院船に乗って
 ユーモラスなコープル
 在留邦人の見舞い
 ゴールボン病院

カウラ捕虜収容所
 赤い服
 カウラキャンプ
 支給品
 バリケードの内と外
 堂さんとの出会い

穏健派と強硬派
 ギルワ陣地の最後
 班長会議
 下士官と兵の分離
 <生>か<死>か

出撃
 首つり自決
 死への突撃
 戦い終る
 死んでいった人々
 南兵曹と小島
 堂さんの語る11班の状況
 不可解な強硬派の言動
 事件のあと
 2人のつわもの

死んだ者死ねなかった者
 死を命ず
 口と心のちがう人々
 事務所の人々
 あわれな死
 おれは出撃しない
 近よると撃つぞ

ヘイキャンプ
 事件顛末書
 事務所入り
 コープルカー
 平穏な日々
 おもちゃの製作
 強硬派の難題
 終戦

生きて本土へ
 復員船
 復員列車
 いよいよ一人となる
 出迎えのない伊野駅
 わが家は沸く
 わが墓の前に立つ

再刊にあたって

刊行にあたって



4月にオーストラリアに行く予定である・・・
で・・・カウラ捕虜収容所跡にも立ち寄る予定なので、事前に勉強するため本書を読んでみた。

「カウラの暴動」については、話は聞いたことがあるが、詳しいことは全く知らない。
一体、ここで何が起こったのか・・・

著者は、ニューギニアでの戦闘中、負傷して意識を失い、捕虜となってカウラ捕虜収容所に送られた陸軍兵の方である。

この収容所内では、穏健派と強硬派とに分かれていたようだ。
意外なことに陸軍のほうに穏健派が多く、海軍のほうに強硬派が多かったという。
陸軍の兵達は主にニューギニア方面の戦線で捕虜となったものが多く、餓死寸前に助け出されたためだろう。
敵に対して親切に介抱をしてくれたオーストラリア軍に対して恩義を感じているせいなのかもしれない。
対して海軍の兵は、主に大戦緒戦、つまり日本軍がまだ「勝ち戦」をしている時に捕虜となったものが多かったそうである。
体力もあり、元気な状態で捕虜となっている。
その負い目もあるのだろう・・・
「生きて虜囚の辱めを受けず」・・・戦陣訓を持ち出し、オーストラリア軍に徹底的に反抗することが、自分達の役目だと思っていたらしい。
どうも、その中心となっていたのは、開戦早々に捕虜になった飛行艇の搭乗員たちだったようである。
海軍の強硬派から見ると陸軍の兵は軟弱者に見えたらしい。
ここ捕虜収容所でも、日本の陸海軍の確執があったということか?

連戦連敗・・・日本兵の捕虜も増え続け・・・
ついに下士官と兵を分離して、“兵”達は、カウラから更に奥地の「ヘイ捕虜収容所」に送られることになった。
このオーストラリア軍の処置が、「暴動」のきっかけになったようである。

問題は、この「暴動」であるが・・・
何を目的にしていたのかが、さっぱりわからない・・・
ただ「死ねばいいんだ」という内容としか思えないのである。
ただただフェンスに向って走り、収容所の警備兵に射殺されることを目的としているようなのである。
一応、無事にフェンスを乗り越え、外に脱走した後の集合場所は決められていたようだが、その後はどうするのかは、その時に考えるという杜撰な計画だったそうだ。

これは、まさしくただの「集団パニック」ではなかろうか?
ただの「集団自殺」と言ってもいいのではなかろうか?
体力の回復していないものや、戦闘中の怪我が完治していない者は、フェンスまで走ることが出来ない・・・
ということで、決行直前に、次々と首つり自殺をしたという。

捕虜総数1140名中、死亡したのは自殺者を含め231名だという。
対するオーストラリア軍側は4名が死亡しているに過ぎない。
これは、どういうことか・・・
捕虜の5分の1程度しか死者がいないではないか?
強硬派に散々煽られて、その気になった振りをしたが、実際には「突撃」しなかった人が多かったということではなかろうか?
しかも、呆れた事に、散々煽っていた強硬派の多くが死なずに生き残っているのである。
哀れなのは、本気で「突撃」して銃弾に倒れた連中と、足手まといになるのを避けるため自ら首を吊って自殺した連中である。

威勢のいいことを言う奴に限って、イザとなったら・・・・というのは、昔も今も変っていないような気がする。

本書を読んでから現地に行き慰霊をしようと思っていたが・・・
どうも複雑な心境になってしまった・・・
彼ら死亡した人を「戦死」と著者は書いているが・・・これは「戦死」に値するのだろうか?
ただの集団パニックによる「集団自殺」ではなかろうか?
収容所のフェンスに「突撃」する大義名分など、どこにあるのだろうか?
どうもわからん・・・・
『戦陣訓』を理由に挙げているが、果たして本当にこの『戦陣訓』が大きく影響していたのだろうか?
“声の大きい奴”に脅され、周囲の顔色を伺い、世間体を気にして、結局は「自殺」に追い込まれただけのことではなかろうか?
私は「自殺者」に哀悼の念を持つ気にはなれないのである。

この「事件」をどう理解すべきなのだろう?
なんともスッキリしないままで読み終えることとなってしまった。



今年の読書:13冊目

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読書 | 00:29:37 | Comments(0)
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