■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
『第4航空軍の最後』
第四航空軍の最後―司令部付主計兵のルソン戦記第四航空軍の最後―司令部付主計兵のルソン戦記
(2008/10)
高橋 秀治

商品詳細を見る


プロローグ~マニラ初空襲
 防空演習の日の空襲
 四航軍司令官の指揮
 米艦載爆撃機

第1章~新戦場への出征
 水道で待ち伏せる敵潜
 轟沈する僚船
 眞部隊連絡所
 輸送できぬブルドーザー
 戦時標準船の進路
 マニラの埠頭
 大東亜共栄圏
 独航船安芸丸
 広島湾・似島
 宇品碇泊場司令部
 理髪店で忘れた兵器
 良江姉との別れ
 亡き姉を偲ぶ
 松江のひととき
 広島駅舎のストーブ
 関釜連絡船
 奉天駅とアジア号
 山海関通過
 済南駅前の群衆
 南京成賢部隊到着

第2章~バシー海峡の航跡
 健兵と弱兵
 陸軍病院の看護婦
 大東亜戦争陸軍給与令
 南京第一陸軍病院
 陸軍兵長ヲ命ス
 南京紫金山中山陵
 成賢部隊の教官
 候補者隊教育
 ホーランジアの危機
 大陸縦貫打通作戦
 8人の同僚
 四航軍マニラに在り
 国際都市上海
 上海港発~高雄港着
 高雄市の憩い
 屏東飛行場の追憶
 離陸する輸送機
 バシー海峡上空

第3章~第四航空軍司令部
 ニコルス飛行場
 マニラ総合病院
 威 第15300部隊
 経理部陣容
 営繕科
 第6飛行師団司令部
 戦場離脱の汚名
 六飛師首脳の退路
 最高責任者の行動
 航空寮宿舎
 徳永大佐の参謀懸章
 外賀主計中佐の覚書
 施設科長・西山少佐
 マニラ市の繁華街
 五百ペソ軍票
 週番下士官勤務
 バレン&アルホンソ
 応急退避壕工事
 新任の第四航空軍司令官
 飛鳥組と中目氏

第4章~2人の将軍の真実
 山下奉文大将着任
 墜落するB-24
 台湾沖航空戦戦果は嘘
 謎の集中爆撃
 壊滅する聯合艦隊
 レイテ島多号作戦
 第3次輸送作戦
 第4次輸送作戦
 夜空に浮かぶB-29
 陸軍特別攻撃隊
 撃墜された岩本大尉機
 薫空挺隊
 マニラを去る南方軍
 高千穂空挺隊
 激励する冨永司令官
 ルソン島三大拠点
 冨永軍司令官の大義名分
 辞任方上申
 航空軍エチアゲ移動

第5章~バレテ峠の死闘
 荒廃するマニラ市
 マリキナ軍兵器廠
 マニラ脱出準備
 入院患者救出
 苦しむ村田少尉
 独立自動車中隊
 マニラ北方40キロ地点
 アンガット川の敵機
 天を仰ぐ三浦大尉
 渡河地点の記憶
 棒チョコと宝石箱
 焦土の街サンホセ
 バレンテンの嘆き
 バレテ峠
 馬頭橋渡河
 村田建技少尉の死
 眞部隊連絡所
 バガバック三叉路
 オリオン峠
 台湾行き予約券
 冨永軍司令官逃亡準備
 脱出首脳の理屈
 離陸失敗した新司偵
 軍司令官の敵前逃亡
 偽りだった台湾移動

第6章~去る者と残される者
 歩兵第10連隊の軍旗
 西山主計少佐遭難
 近くに潜むゲリラ
 P-38の攻撃
 残骸となったP-38
 ゲリラが蜂起した事件
 高級将校は墜落死
 経理部最後の宿営地
 病魔に斃れた若者
 勤務小隊の兵隊
 小銃を紛失した兵隊
 バシー酒と憩い
 無意味な軍歌演習
 残留者再編成
 矢野四郎見習士官
 警備隊に縛られた住民
 ある日本人の好意
 第四航空軍解体
 敵前逃亡罪の生と死

第7章~マニラ湾の落陽
 米軍進攻
 マニラ四大橋爆破
 撤退か死守か
 訣別電報
 マニラ部隊玉砕
 去る警備勤務小隊
 集中爆撃の犠牲者
 好運な脱出者
 藤村准尉の行動
 消滅した経理部
 高千穂部隊の集結地
 峠に現われたゲリラ
 擲弾筒の炸裂音
 矢野四郎少尉を偲ぶ

エピローグ~生と死の分岐点
 マビニ集落へ移動
 不審な野火
 離別のとき
 転属命令
 カワヤンへの途
 1日間の炊事班長

後記



第4航空軍の冨永司令官と言えば、ある意味「悪名高い」司令官である。
第4航空軍では、大戦末期、多くの特攻隊を出撃させていた。
この司令官は「後から俺も行く」と特攻隊を送り出しておきながら、イザとなったら、さっさと部下を置き去りにして安全な台湾に脱出したのである。
この卑怯な行動には多くの人が批判し、数多くの書物にも書かれている。
不思議なことに、冨永司令官を擁護する文章を見たことがない・・・
それくらい弁解の余地のない「逃亡」をしたということだろう。
冨永司令官は、戦後も生き長らえたから、当然、子孫もいると思われるが・・・
今もって「卑怯者」呼ばわりをされているのだから、子孫もさぞかし肩身の狭い思いをしているのではなかろうか?

第4航空軍司令部は、一応、「作戦」として台湾に「後退」して指揮を取るという体裁を整えたようだが、上級司令部である南方軍も大本営も、その計画に対する許可を出していない。
許可が出るまで待っていたら脱出できなくなるから、許可を得る前に逃げ出してしまったようである。
これは明らかな「敵前逃亡」である。
陸軍刑法では敵前逃亡は死刑である。
が・・・冨永司令官は裁判にかけられることもなく、刑務所に送られることもなく・・・ましてや死刑に処されることもなかった。
サッサと逃げ出したのは司令官だけではない。
司令部の、参謀達幕僚、部長クラスの高級将校も一目散に逃げ出したのである。
これでは特攻隊員として散華した部下たちに申し訳が立たぬと思うが・・・
戦後、よくも旧部下達に殺されなかったものだと、ある意味、感心する。
こういう高級将校たちが戦争を指揮するんだから日本が負けるのも無理はなかったかも・・・

この卑怯な行為の批判は富永司令官だけに浴びせられているが、参謀など司令部の高級将校も批判を浴びるべきではなかろうか?
残念ながら、これらの個人名が明確に記載された書物をまだ見たことがない。
「役所」とはそういうものなのだろう。
「司令部が・・・」という言葉だけで全てを一まとめにしてしまい、個人名には言及しない・・・
個人の責任は問わないのである。

司令官たち司令部要員たちが台湾に脱出して早々、食糧倉庫を無理矢理開けさせ、酒を飲んでドンチャン騒ぎをしている姿を目撃したという話が、ある人の手記に書かれていた。
こうなると、司令官一人の意志ではなく、幕僚達司令部要員達の画策によって「脱出」は仕組まれたのかもと思わざるを得ない。
司令官に続いて、脱出を図った部長クラスの高級将校の乗った輸送機が撃墜されて多くの司令部要員が「戦死」したが、これに同情する声は一つもない。
逆に「ざまぁみろ」の声が記録されている。

この第4航空軍所属のパイロットは優先的にフィリピンから後方へ下げられた。
本土決戦のためにパイロットは貴重だったからであるが・・・
かわいそうなのは、整備兵や事務職の人達である。
フィリピンに置き去りにされ、悲惨な最期を遂げた人が多い。

彼ら航空部隊の一部の兵は、最前線で戦っていた私の祖父の部隊へ送られる食糧を途中で横取りしている。
これは、補給部隊の方の手記に書かれていた。
戦闘能力もなく、指揮官に台湾に逃亡されては食糧等の補給などあるわけがない・・・
餓死したくなければ味方の食料を奪うしかない・・・
横取りするとはヒドイ奴らだという気もするが・・・少しは同情の余地はある。
全く同情の余地のないのが司令部の高級将校たちである。
部下を置き去りにするとは酷いことをしたものだ・・・・

本書の著者は、この置き去りにされた側の人である。
ニューギニアで戦い、満州に転じて、再び南方へ派遣され、フィリピンにやって来た・・・
で・・・第4航空軍司令部に配属となった主計兵である。
主計兵という一兵士だから、当然「置き去り組」である。
ルソン島の山奥で散々苦労を重ねながら生還された。
本書に登場する地名のいくつかには、私も現地を訪問しているので、現地の景色を頭に浮かべながら読ませてもらった。
決して感情的にならず、淡々と体験記を綴っている。
好感の持てる記録である。
著者は平成19年にお亡くなりになっている・・・・
長生きされたことがせめてもの慰めである。
いい記録を残していただき感謝、感謝である。



今年の読書:11冊目

スポンサーサイト


読書 | 01:17:55 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。