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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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セブの戦跡をめぐる(1)
朝6時前に起床・・・
丘の中腹にあるホテルなので、さぞかし海のほうが見えて景色が良かろうと思ったら・・・
あらら・・・拙者の部屋は反対の山側の部屋だった・・・(大笑)

156_convert_20140205222512.jpg

しかし・・・
米軍がこのセブ島に上陸したのは、昭和20年3月26日・・・
セブ島の日本軍は陸海軍合わせて1万5千名弱・・・
この山の方へ退避して戦ったに違いないから、山側の部屋でちょうど良かったかな?(笑)

ちなみに、エレベーターホールから見た海側の景色は・・・こんな感じ・・・

171_convert_20140205223942.jpg

我々が宿泊したホテル・・・・
「マルコポーロ・プラザ・セブ」・・・・

174_convert_20140206132020.jpg

最初の訪問は・・・このホテル敷地内にある『セブ観音』・・・
以前から名前だけは聞いていたが、このホテルの敷地内に建立されていたのか・・・
だからこのホテルに宿泊することにしたのかも・・・

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(碑文)
セブ観音
さきの第二次大戦に於てセブ島及びその周辺地域で戦死されたすべての方々の御冥福と永遠の平和を祈ってここにセブ観音を建立する

セブ海軍部隊
遺族戦友一同
陸軍落下傘三四会
他 有志一同

昭和58年5月21日建立

『セブ観音』を参拝、みんなで『海行かば」を歌う。

セブ島の戦史については、あまりよく勉強してこなかった・・・
これといった良い資料が見つからなかったのだ。
一応、戦記に掲載されていたセブの海軍航空基地の略図だけはコピーしてきたが・・・
略図だから、距離的なものは正確ではなさそうである。

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『セブ観音』から見た丘の下の町並み・・・
現在ビルが建ち並んでいるあたりに「セブ航空基地」の滑走路があったのではあるまいか?
と・・・すると・・・
向うから、こちらの丘のほう(緑の茂っているあたり)に掩体壕(飛行機を保護・格納する壕)があったはず・・・
確認のため、そのあたりをウロウロして見たい気持ちがムクムクと湧き上がってくるが・・・
ツアーである・・・(涙)
我慢、我慢・・・・

ワゴン車に乗り・・・次に向かったのは・・・
ん????
「道教の寺院」!(笑)
なんでお寺に行ったのか・・・拙者には全くわからない・・・
ガイドの“スズキさん”が説明をしてくれていたようだが、全く聞いていなかった・・・(大笑)

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このお寺がある場所は、丘の中腹・・・
この丘は高級住宅街となっていて、その中にお寺がある。
が・・・この丘・・・
日本軍の抵抗陣地が設けられた丘のようである。
ガイドの“スズキさん”の話では、戦跡は何も残っていないとのこと。
う~ん・・・どこか、まだ開発されていない斜面とかに何か残っているんじゃないかぁ~?(笑)

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お寺から見た景色・・・・
右の方に見える林の中なんか怪しんだけどなぁ~(笑)
何か残っていないかなぁ~

ツアーの最後尾に付き、長い階段を降りて「道教のお寺」から出たら・・・
10人ほどのフィリピン人の女子学生とバッタリ!
女子大生か女子高校生か、知らないが・・・(笑)
キャー!キャー!と大騒ぎ!
何事???
一人の女子学生が、写真を撮ってもらえないかとカメラを差し出したので、それに応じたら・・・
はぁ?
他の女の子が全員、拙者の所に集まった・・・
あれ?・・・拙者がみんなの集合写真を撮ってあげるんじゃなかったの?(汗)
なんで拙者を中心に集まっちゃったんだ?
あのぉ~・・・拙者は芸能人じゃないんですけど・・・(大汗)
彼女たちは拙者を中心にキャーキャーと大騒ぎ・・・・
ピチピチギャルたちにピタッと挟まれて・・・・嫌でも鼻の下が伸びる・・・(大笑)
余りにも照れくさいので、近くにいた“コウノさん”にも加わってもらい、なんだかわからない記念撮影・・・
しかも・・・別のカメラでも・・・2回も・・・(大笑)
なんだろうなぁ~・・・これ・・・・
何をそんなに喜んでいるのか・・・
彼女たちはキャーキャーワーワー騒ぎながら「サンキュー!」と言って去って行った・・・(唖然)

駐車場に戻ったら、すでに皆さんはバスの中で待っていて、心なしか冷たい視線・・・(大笑)
いや・・・あれ?・・・私はナンパなんかしてませんよ・・・(汗)
ガイドの“スズキさん”によれば、彼女たちは日本人と一緒に写真に収まりたいだけだった・・・という。
が・・・なんで日本人と一緒に写真を撮りたがるんだ?(笑)
わからん・・・
絶滅危惧種の珍しい動物に会っちゃった!・・・というようなあの騒ぎはなんだったんだ????(笑)

丘を下って、今度は町の中を走る・・・・

「このあたりが昔の飛行場跡です」とガイドさんが言っていたが・・・
どこ?
反対側の座席に座っていたので見えない!写真が撮れない!(涙)
どうも、町の中の大通りが昔の滑走路跡のようだが・・・
「今は当時の面影は全くありません。戦跡は何も残っていません」とのこと。
あっという間に通り過ぎたので、どこがそこなのか、結局わからず仕舞い・・・
いつか一人で来るようか?(涙)

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次に向かったのは町の中・・・
陸軍病院跡である。
ここには『南方第14陸軍病院』があったらしい・・・慰霊碑が建立されている。

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(碑文)
慰霊碑
南方第14陸軍病院関係者

1977年3月10日
全国セブ会一同

ルソン島のマニラには『南方第12陸軍病院』があったのは知っていたが、ここセブにも陸軍病院があったとは・・・
「病院」にはいくつかのランクがある。
最前線で負傷したら、まず向かうのが「包帯所」・・・・
たぶん、包帯しか巻いてくれない場所なのだろう。(笑)
そこでダメなら、「野戦病院」ということになるが・・・赤チンを塗る程度か?
その上級が、「兵站病院」・・・そしてその上が「陸軍病院」となる・・・
今で言えば、「野戦病院」が村の診療所なら、「陸軍病院」は入院設備の整った大学病院ということになるか?(笑)
それなりの設備の整った病院が、このセブ島にもあったということである。

それにしても、これといった説明が何も書かれていないというのは何とも面白くない・・・
英語と日本語で、病院の規模や職員数や、陸軍病院の役割、慰霊碑について、などが書かれた説明板でも設置してくれたらなぁ~
地元の「史跡」になると思うんだけどなぁ~
戦争は戦争として・・・こっちに置いておいて・・・(笑)
歴史的な場所・・・史跡は史跡として、後世の歴史の勉強のため、また観光資源として有効活用したらいいと思うんだけどねぇ~

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敷地には「リージョン・ブラッド・センター」の建物が建っている。
日本で言えば・・・「日赤血液センター」の「茨城支部」みたいなものかな?(笑)

これに接して、ちょっと洒落た建物が同じ敷地内に建っていた。

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戦時中からあったものだろうか?
外に「ナース・ホーム」というアーチが架かっていたから・・・「看護婦寮」?

この敷地の裏のほうを散策してみたいが・・・ツアーだから・・・断念・・・(涙)

時刻は10時20分・・・
15分程度、ここをお参りして・・・・次に向かうこととなる。

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『南方第14陸病院跡』の前の道・・・
門柱や塀は当時のものなのだろうか?
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旅行 | 10:59:42 | Comments(0)
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