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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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レイテ島の台風被害
8日、台風30号がフィリピンのレイテ島を襲った・・・
暴風雨と高潮が、一時、市内を濁流まみれにしたようである。
一夜明けた9日には、被害が拡大して、路上には多くの死体が放置され、沖にも死体が浮遊している状態だそうで、避難所でも死体が見つかるという状態だそうである。

通常、台風と言えば、だいたい、南のほうならミナダナオ島が襲われることが多い・・・
北の方なら、拙者がよく行くルソン島の北部山岳地帯を襲う・・・
今回、レイテ島が直撃を受けたというのだから驚いた。
しかもかなり強力な台風である。
この異例の規模と移動コースは、異常気象のせいなのだろうか?

フィリピンの国家災害対策本部は、9日に、死者は少なくとも138人に上ったと発表。
一方、フィリピン赤十字では、レイテ島のタクロバンでの死者は推定で数千人に上るとの見方をしているという。
さて、こうなると、本当はどのくらいの犠牲者数になるのか・・・
数百人の死体を見て、数千人と思うか・・・
まるで、第二次世界大戦時の「南京大虐殺」と同じで、30万人が殺されたのか、数万人なのか数千人なのか、数百人なのか・・・
被害現場を見た人によって、その数はまちまちに報告されかねない。
実際の被害がどのくらいなのかは、そうとう日数が経たなければ、わからないだろう。

さて・・・
こういう被害を見るたびに思うのだが・・・

日本ではフィリピンにおいて政府や民間組織が日本兵の遺骨収集を行なってきた。
土の中から人骨が出れば、即、日本兵の“ご遺体”だと言って、収集し荼毘に附して日本に持ち帰ってきた。
果たして・・・その人骨は本当に日本兵のものなのだろうか?

戦後60年以上も経つ・・・
その間に何回もの台風などの風水害で、どれほどのフィリピン人が“行方不明”となっているか・・・
“行方不明”は、すなわち泥流に飲み込まれて埋まってしまったとも言えるのではなかろうか?

遺骨収集で見つけた人骨・・・
遺品が一緒に出てくるのならわかるが、そうでないものは、日本兵の遺骨と決め付けるわけにはいかないのではなかろうか?
30年前、40年前に泥流に飲み込まれたフィリピン人の“行方不明者”の可能性もあるんじゃなかろうか?

遺骨収集では、遺骨と一緒に出てきた遺品の記録はどうやっているのだろうか?
ある民間団体では、「遺品も一緒に出ているから日本兵に間違いない」というが、その肝心の遺品が何かという記録や、その証拠写真等は公表していない。
国の遺骨収集も同様であろう・・・・
遺品自体も、その後、どう処理したのかを公表していない。
一般的には麻袋等に発掘した遺骨を詰め込んで、別の場所に白布を敷き、その上に遺骨を並べて数を数え、「何柱」という記録を取って、全部をまとめて荼毘に附し、箱に詰めて日本に“ご帰還”・・・というものではなかろうか?
こうなると、遺品と遺骨の関係は全くわからなくなる。
一緒に発掘された遺品によっては、部隊名が・・・もしくは苗字ぐらいまでは判明する可能性もあると思うのだが・・・

フィリピンでは戦闘もさることながら、多くの将兵が餓死と病死でこの世を去っている。
生存者は死体から必要なものを剥ぎとっていく・・・
必要ならば、軍服も靴も何もかも・・・
となると、遺骨と一緒に遺品が出てくる可能性は低い・・・
そうなると・・・さて、果たしてこの遺骨は日本兵なのか、フィリピン人の災害被害者なのか?

日本兵の遺骨が出てきたと単純に喜んでいいものか・・・
遺骨収集では、かなりの慎重さが必要ではあるまいか?
単純に喜んだり涙したり・・・というわけにはいくまい?

いつもフィリピンでの災害報道に触れるたびに、私はそう考えてしまうのである。
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エッセイ | 17:02:15 | Comments(0)
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