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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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「陽明丸」の話・・・
1917年に起きたロシア革命の時のお話・・・・
この革命の中心だったペトログラード(現:サンクトペテルブルク)の3歳から15歳ぐらいまでの子供800人が極東に疎開していたところ、革命の混乱と内戦のため陸路では故郷に帰る事が出来なくなり難民状態に陥ってしまったという。

この時に、彼ら800人の子供たちを救ったのが、日本船の『陽明丸』・・・・
『陽明丸』は勝田汽船という会社が所有する貨物船である。
勝田汽船の社長は愛媛県松山市出身の勝田銀次郎という人で、この人が多額の寄付をして貨物船を客船仕様に改造させて子供達が長い航海に耐えられるようにしたというのだから驚きである。
ちなみに、この勝田汽船は第一次世界大戦後の海運不況のために倒産してしまったそうであるが、社長の勝田銀次郎さんは昭和に入り神戸市長となって活躍をされたそうである。
昔は、なんともすごい人がいたものである。
現代は・・・スケールが小さいねぇ~(笑)
金儲けに汲々としているだけではなかろうか?・・・

『陽明丸』は、1920年(日本では大正9年である)の7月にウラジオストクを出帆し、室蘭から太平洋、大西洋を横断して、この年の10月にフィンランドに到着したという。
800人の子供達は、ここから故郷のペトログラードに戻り、無事に親と再会出来たという。

この話を幼少の時に祖母から聞かされた人がいる・・・
オリガ・モルキナさん、59歳・・・
当時は「迷子の子供達が船に乗って世界を一周して戻ってきた話」だったので、「おとぎ話」だと思っていたそうである。
が・・・大人になって、自分の祖父母が、この『陽明丸』に乗っていて、そこで出会ったことを知ってビックリ!
『陽明丸』がなかったら、自分の存在もありえなかったかもしれないということになる。
そこで、わずかな手がかりをもとに、この船の船長さんの消息を長い間探していたという。

この『陽明丸』の船長さんは岡山県笠岡市出身の茅原基治さんという方だということがわかったそうで・・・
当然、ご本人はお亡くなりになられているが、ようやく親族が見つかり、彼女は日本を訪問してお礼を述べることが出来たという。
いやぁ~このロシア人女性もすごいものだ・・・
私とたいして年が違わないのに・・・

彼女は、恩返しの為にも日ロ関係の発展のため「草の根外交官」を自任して日本とロシアの交流に尽力しているそうである。

いやぁ~トルコといい、ロシアといい、すごい人がいるものである。
恩義に篤いというか・・・
う~ん・・・今の日本人は、少しは勉強して見習ったほうがいいんじゃないか?
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エッセイ | 21:18:41 | Comments(1)
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2014-03-31 月 09:11:46 | | [編集]
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