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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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秋山伯耆守信友の屋敷跡
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(山梨大学・生命環境学部・教育人間科学部)

織田信長と対峙した勇将
秋山伯耆ほうき守信友のぶとも
(大永7年~天正3年10月21日)

秋山氏は、甲斐源氏の支流で、武田家の譜代家老の家柄である。
信友といわれるが、実名は虎繁(とらしげ)が正しい。
天文15年(1546)に侍大将に抜擢され、信玄の信濃国伊那郡制圧に伴い、高遠(たかとう)城代を、次いで飯田(いいだ)城代を歴任したという。
また、弘治年間には、伊那大島(おおしま)城に在城している。
信友は、武田家の伊那郡支配に深く関与し、赤須(あかす)・大島氏を始めとする春近(はるちか)衆などを配下に置き、織田・徳川氏を監視する役割を担った。
元亀3年(1572)、信玄が西上作戦を開始すると、信友は伊那衆を率いて美濃に侵攻し、遠山景任(かげとう)未亡人(織田信長の叔母)の守る岩村城を包囲した。
城方との交渉の末、景任未亡人を信友の妻とし、遠山氏の養子御坊丸(おぼうまる)(信長の子)を人質として甲府に送還することで開城させ、信長と対峙する最前線を警固した。
長篠敗戦後、織田信忠に包囲されて降伏し、岐阜で処刑された。

(説明板より)
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史跡 | 15:34:25 | Comments(0)
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