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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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武田信玄公墓所
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(山梨県甲府市岩窪町246)

甲斐国主
武田信玄公御墓所について

天正元年(1573)4月12日、信州伊那駒場で53歳を一期として、波瀾の生涯を閉じた英雄信玄公はその臨終に際し、3年間の秘喪を命じた。
嫡子勝頼公は、これに従い、信玄公の遺骸を密かにして、3年後、二十四将の一人、土屋右衛門昌次の邸内で、荼毘に附し、天正4年4月16日、塩山、恵林寺に於て、葬礼を行い、埋葬した。
岩窪の墓所は、土屋氏の邸跡で、後世これを、魔縁塚と呼び、里人は恐れて近づかなかったという。
それから、およそ200年後の江戸時代安永8年(1779)甲府代官、中井清太夫が発掘して、石棺を見つけ、その銘に、「法性院機山信玄大居士・天正元年癸四月十二日薨」とあったので、もとのように埋め幕府に届けて、信玄公の墓と定めた。
この時、東花輪村、田中喜衛門、西花輪村、内藤正助、外52人の武田家の旧臣有志が大石碑を建て、壮麗な聖域とした。
碑文は時の円光院住職・愚應の書である。
現在地域住民は、ここを信玄公さんの墓と敬愛し、子供達と共に精神的憩いの場となっています。
又地元老人クラブの人々が、毎月1回清掃奉仕を行い自治会では、年中行事として、4月12日の命日に円光院並に近隣の寺院の協力に併せて、信玄公さんの祭りとして、墓前法要を勤め、ありし日の国主を偲んでおります。

昭和56年9月吉日
岩窪町自治会
〃 老人クラブ  建之

(説明板より)
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史跡 | 14:52:22 | Comments(0)
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