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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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甘利備前守虎泰屋敷跡
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(山梨県甲府市・護国神社の前)

板垣信方と並ぶ武田家の重臣
甘利備前守虎泰
(?~天文17年2月14日)

武田氏の譜代家老で、板方信方とともに両識(りょうしき)という最高職に就任していたとされる重臣。
甘利氏は、甲斐源氏の支流にあたり、武田氏を支えて活躍した。
本拠地は甘利荘(あまりのしょう)と呼ばれた地域で、そこに館(やかた)(現在の韮崎市大輪寺)があった。
武田信虎・信玄2代の重要な作戦のほとんどに参加したといわれ、百騎の士卒を率いていた。
天文15年(1546)8月、信玄が信濃志賀城(佐久市)の笠原清繁(きよしげ)を攻めた際に、関東管領上杉憲政(のりまさ)の援軍を、虎泰は、板垣信方らとともに、小田井原(おたいはら)の合戦でこれを撃破している。
同17年(1548)2月、信玄が村上義清と戦い、初めての敗戦を喫した上田原(うえだはら)の合戦で戦死した。
その跡は、ただちに息子藤三昌忠(とうぞうまさただ)(後に左衛門尉(さえもんのじょう))が継いだ。

(説明板より)
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史跡 | 12:58:43 | Comments(0)
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