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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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日本軍の兵器みっけ!(喜)
約1時間の昼食後・・・
今度は『ベトナム軍事歴史博物館』へ向かう・・・

道中、車窓から町並みを見る。
フランス統治時代の建物だろうか・・・古い建物が結構ある。
ホーチミンとは雰囲気が違う。

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あ~・・・こういう建物・・・好きなんだよなぁ~(笑)
バスの窓からじゃなくて、ブラブラ歩きながら見て回りたい衝動にかられる。
う~ん・・・残念だぁ~
今度は一人で来て、ブラブラ歩きたいなぁ~

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午後1時過ぎ・・・『ベトナム軍事歴史博物館』に到着・・・
早速、館内の見学をする。

509_convert_20130618134247.jpg(ベトナム軍事歴史博物館)

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館内の見学を終え、外に出てみたら、ズラリと大砲が並んで展示されていた。
ふと、その中の一つに目が行った・・・・
あっ!これは・・・旧日本陸軍の『四一式山砲』ではないか!(驚!)
あらあらあら・・こんなところで我が大日本帝国陸軍の大砲に出会うとはねぇ~
もう、これを見ただけで、この博物館に来た甲斐があったというものである!(喜)

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この砲に付いている銘板等を調べてみると・・・
砲身には「四一式山砲 №1211」と刻印されている。
つまり、1211番目に製造されたということになるのかな?(笑)
で・・・
この砲身が乗っている“遥架”と呼ばれる部分に付いている銘板には「明治四十四年製 №17 大阪砲兵工廠」とある。
明治44年?
この四一式山砲が開発されたのは明治41年だから、制式採用されて3年後に作られたということになる。(驚)
かなり古い砲ということになる。
しかも17番目・・・(大笑)
ところが、この砲の“脚”の部分には「昭和十五年四月製 №1273 大阪工廠」という銘版が付けられていて、更にこの“脚”の一番後ろにある“脚”を地面に固定させるための杭の役目をする“駐鋤”という部分には「昭和十二年十二月製 №10010 奉天造兵所」の銘板が取り付けられていた。
つまり・・・
各部品の作られた時期がまちまちなのである!(笑)
これは、あっちこっちから掻き集めて再生した砲のようである。
あら・・・すごい・・・(大笑)

隣りに設置されていた、ベトナム語と英語、フランス語の3ヶ国語で書かれた説明板を見てみると・・・
どうも、この説明が拙者には物足りない・・・(大笑)
拙者の非常に頼りない英文和訳によれば・・・(大笑)
まず、表題は、「75mmの山砲の部品(もしくは一部)」と書かれている。
「四一式山砲」は口径が75mmであるので表記に間違いはないが、“piece"を「部品」とか「一部」と訳すとこういうことになるのだが・・・(笑)
これは大砲の一部なのか?(笑)
大砲そのものだと思うけど・・・
他の説明板を持ってきちゃったんじゃないのか?(大笑)

で・・・書かれている内容は・・・
第675砲兵連隊、第755中隊の英雄であるナントカカントカ(ベトナム人の名前の発音がわからない)という人が率いた第2砲兵中隊で使用されたものらしい・・・
が・・・675とか755とか、ちょっと数字が大きすぎるような・・・
北ベトナム軍って、そんなに部隊数が多かったのか?
あれ?・・・どうも不安になってきたぞ・・・拙者の和訳・・・(大笑)
で・・・この砲は、1954年3月24日から1954年5月7日の戦いで、破壊された5門の105mm砲の部品と、ディエンビエンフーに近い中央戦域(?)でフランス軍が放棄した軍需品から入手した・・・らしい・・・
書かれているのはそれだけ・・・
いくら英語が苦手な拙者といえども、おおよそのことはわかるが、わけがわからん文章である。(笑)

まず、1954年の3月から5月にかけて「ディエンビエンフーの戦い」というのが行われたのは確かで、この激戦でフランス軍はベトナムから撤退する羽目になるのである。
問題は、フランス軍から入手した105mm砲の部品という部分・・・
105mm砲の部品で75mm砲が作れるわけがないと思うのだが・・・常識から言って・・・(大笑)
わけがわからん話である。
で・・・肝心の部分・・・この砲が旧日本軍の「四一式山砲」であるということは、どこにも書かれていない!
これが拙者には面白くない!(笑)

それにしても、この砲は多分、太平洋戦争終戦後、フランス軍が日本軍から接収した大砲なのだろう。
で・・・約9年後の第一次インドシナ戦争で、フランス軍はこの“骨董品”を持ち出して戦ったというわけか?
ということは・・・日本の大砲も大したものである・・・使用に耐えたんだから・・・(笑)

う~ん・・・正確さに欠ける説明板である!(怒)
作り直してもらいたいなぁ~・・・・これ・・・(笑)

この博物館の中庭には、ベトナム戦争当時の兵器類が野外展示されていた。

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555_convert_20130619122439.jpg(米軍のM84戦車)

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隣りの建物にも何か有りそうなので覗いてみる。

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時刻は午後2時過ぎ・・・
次は『革命博物館』に向かう・・・・
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旅行 | 15:27:36 | Comments(0)
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