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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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台湾歴史探訪の旅(16)
昼食後、向かったのは・・・『篤行十村』という場所・・・
拙者には何のことやらさっぱりわからないが・・・(笑)
何やら、史跡かなにかに指定されている古い家が立ち並んでいる場所らしい。

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最初に案内されたのが『張雨生故事館』という建物・・・
この張雨生(チャン・ユーシェン)という人は、なにやら台湾の有名な歌手だそうで・・・
交通事故で31歳で亡くなったそうだ。
その生家がここなのかな?・・・・良くわからないけど・・・(大笑)
内部は記念館のようになっていたけど、日本の芸能人に殆ど興味がない拙者が、台湾の芸能人に興味を持つはずもない。(笑)
写真すら撮影するのはもったいないと、写真も撮らず、サッサと外に出る。(笑)

海のほうへ向かい、岬のような断崖の上に出たら、向こうに台湾海軍の軍艦らしき船が停泊していた。

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少し、この古い家屋群の中を散策しながらバスに戻る。

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ここには、日本統治時代に「澎湖島要塞司令部」「澎湖島重砲兵連隊」の官舎があった場所らしい。
明治38年頃から建設が始められたようである。
で・・・戦後は、台湾(国民党軍)の駐屯地になったようである。
今でも、すぐ隣接する場所は台湾の軍隊の駐屯地(軍事基地)である。

この古い建物は、日本統治時代のものではないだろうねぇ~

時刻は午後2時を過ぎた・・・・
これから、今度は“日本軍の上陸地”へ向かう。


より大きな地図で 旧・澎湖島重砲連隊官舎跡 を表示


移動途中で、風力発電所を見かける。

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こういう風の強い島では、風の力を借りて発電するのは当然だよなぁ~(笑)
日本も、いつまでもグダグダ言っていないで、風のよく吹く所には風力発電、年間の日照時間の多い地域には太陽光発電をドンドンやっていけばいいのに・・・ねぇ~(笑)
周囲の様子を見ながら・・・なんていうことだから、日本はいつも後手に回ることになるんだよなぁ~
正しいと思ったら突き進む・・・これが一番じゃないのかね?
などと・・・バスの中から風力発電のプロペラを見ながらブツブツ・・・思う・・・(大笑)

目的地の『澎湖島日本軍上陸記念碑』がどこにあるのか・・・
イラストマップ程度の地図しかなく、バスの運転手の勘に任せるに近い・・・
拙者はドコモのタブレットのナビで現在地を確認。
こんな辺鄙な島でもタブレットのナビが使えるとはねぇ~
いやぁ~便利な世の中である。(笑)
目的地のおおよその位置を掴んだので、ナビでバスの動きを追跡・・・
もし、迷って、おかしな方向に行ったり、通り過ぎるようだったら教えてあげよう。(大笑)
それまでは黙って・・・余計なお世話は焼かないことにする。(笑)

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何もない、荒野のような中を走る狭い舗装された横道・・・
本当にこの道だろうかと不安になった頃、ちょうど舗装が途切れる場所に看板が・・・
あった!(笑)
あれは上陸記念碑を示す看板ではなかろうか?

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標識のすぐ近くに『上陸記念碑』が・・・
この『上陸記念碑』は、ここのほかに、もう一箇所、別の場所にも建っているそうだが・・・
そちらのほうは、戦後になってからなのか、反日的な文字が書かれているそうなので、こちらの記念碑だけを観て帰るそうだ。
拙者の想像では・・・(笑)
多分、「上陸記念碑」の文字が削られ「抗日戦勝記念碑」にでも書き直されているのではあるまいか・・・と思う。(大笑)

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記念碑の前で歌を歌う・・・
多分、「君が代」だったような気がするが・・・(笑)
このツアー・・・いたるところで「さぁ~歌いましょう!」と音頭を取る方がいるので・・・(笑)
「君が代」やら「海ゆかば」やらを歌わされる。
こういうところが、他の観光ツアーとは大きく違うところである。
というわけで・・・どこで何の歌を“歌わされた”のか、さっぱり記憶がない。(大笑)
それだけ、拙者は気持ちを込めて歌っていない・・・ということになるが・・・(大笑)
ここでは、たぶん、「君が代」だったような気がする。
拙者は結構記憶がいい加減である。(大笑)

『記念碑』には・・・・
中央の大きな碑には、「明治二十八年 混成支隊上陸紀念碑」の金色の文字が刻まれていた。
文字が金色なので、ちょっと見づらい・・・(笑)
大正時代の古写真によれば、「混成枝隊・・・」と刻まれている。
いつのまにか「枝」を「支」に書き直したようである。
記念碑自体は、大正時代の古写真と同じもののようである。
右側の小さな碑には「台湾光復紀念碑」の文字が刻まれている。
この右側の碑には、本来は「澎湖島上陸記念碑」と刻まれていたらしいが、書き換えられたらしい。(唖然)

ちょうど、地元の「農夫」という感じの“オジサン”がやってきた・・・
軽く会釈をしたら、何やら話しかけてきたので、対応をガイドさんに頼む。(笑)
拙者は中国語は話せません!(大笑)
で・・・この“オジサン”が案内してくれるそうで、この碑の下にある海岸へ向かう。

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この海岸が、日本軍が上陸した海岸だそうである。
明治28年の3月23日のこと・・・
日清戦争が終わり、「下関講和条約(馬関条約、日清講和条約)」の交渉中のことである。
この海岸に1個旅団(約3000名)が上陸したらしい。
で・・・ここに駐屯していた清国軍と戦闘をしたらしいが、この時の戦死者は3名だったという。
問題は、戦闘よりも病気・・・
コレラによって、1000名ほどが病死したそうである。
軍人として戦闘ではなく病気で命を落とすとは、本人もさぞかし無念だっただろう。
ある資料によれば、コレラ患者数は1,945名で、そのうち1,257名が死亡したという。

どうも「日清戦争」となると、ピンとこない・・・
他の参加者からも「この海岸に日本軍が上陸したって・・・いつの話なんですかねぇ~」と尋ねられる。
日清戦争の・・・と答えたら、「日清戦争じゃ、大昔の話だからピンとこないよねぇ」とのこと。
戦跡といっても、あまりに昔の話じゃ、感慨は湧かない・・・・

いずれ、太平洋戦争(大東亜戦争)も、こういうふうになるんだろうなぁ~
「戦跡」と言ったら、第3次世界大戦(?)(笑)の戦跡になるだろう・・・・
「慰霊祭」と言ったら、戦死した自衛官の慰霊祭になるだろうし・・・
「戦友会」と言ったら、戦った自衛隊の各部隊の戦友会を指すことになるのだろう。
そういう日が来ないのを祈りたいが・・・
100年後はどうなるかは誰にもわかるまい。
明治時代の将兵が忘れ去られるのだから、昭和の将兵も忘れ去られるのだろう・・・いつか・・・
そんなことをフト思った・・・・

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この海岸に祠があった。
案内してくれた“オジサン”の話しによれば、昔からここには小さな祠があったそうだ。
で・・・明治・・・ここに上陸して戦死した3人の日本兵の魂もここに祀ってあると言う。
う~ん・・・本当かどうかは知らないけど・・・(笑)
とりあえず、お参りをさせていただく。

時刻は、まもなく午後2時半・・・
これから、空港へ向かい、台湾本土、台北に戻る。


より大きな地図で 混成支隊上陸記念碑(龍門) を表示
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旅行 | 16:18:38 | Comments(0)
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