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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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台湾歴史探訪の旅(7)
今度は、少し郊外へ移動・・・
向かったのは『烏山頭(うさんとう)ダム』・・・・
このダムは、嘉南平原の灌漑を目的として、日本統治時代の大正9年(1920年)から10年の年月をかけて建設されたダムだそうである。
このダムのところに、このダムを造った技術者の八田與一の銅像がある。
そのことは以前から知っていたので、是非、写真を撮りたいと思っていたので念願が叶った!(喜)

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銅像には、誰が供えたのか花束が・・・
銅像の写真を撮るのが趣味という拙者にとっては、まことに申し訳ないが、この花束は邪魔である。(涙)
やっと念願かなったのになぁ~・・・残念・・・
銅像の後ろには、八田夫妻のお墓が建てられている。

180_convert_20130320221858.jpg

この『烏山頭ダム』は、米国の『フーバー・ダム』が昭和11年(1936年)に完成するまでは世界最大のダムだったそうである。

このダムの一角が公園となっているが、そこに銅像とお墓があるが、敷地内の少し離れたところに『八田技師記念室』という記念館があるので、そこを見学する。

183_convert_20130320222622.jpg(八田技師記念室)

入館は無料・・・・
係員に館内の写真撮影の許可を得る。
で・・・最初に、我々日本人団体客の為に日本語の八田與一技師と烏山頭ダムに関するDVDを放映してくれたので、これを見ることにしたが・・・
写真を撮影してから気がついたが、モニターの画面の脇に「撮影禁止」の注意書きがあるではないか!
あれ?・・・写真を撮っちゃったけど・・・いいのかな?(大笑)

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八田與一技師は金沢市出身・・・・
台南市や高雄市の上下水道の整備なども担当したという。
烏山頭ダムを造った事で、平原には農業用水がもたらされ、穀物の収穫に大きく貢献したのである。
そこで、今でも「台湾水利の父」として台湾人に感謝されているわけである。
こういうことを殆どの日本人は知らないだろうなぁ~
戦時下の昭和17年、日本にいた八田技師は、フィリピンへの技術指導を要請され、「大洋丸」という船に乗り出発したが、5月8日、米潜水艦の攻撃を受けて「大洋丸」は沈没・・・
八田技師もこの時に命を落としたのである。
享年56歳・・・・

この「大洋丸」の沈没・・・
以前、長崎を旅していた時に慰霊碑に出会ったことがある。
長崎駅からそれほど遠くない場所にある「本蓮寺」という寺の前に「南洋産業建設殉職者の碑」というのがあった。
これは「大洋丸」に乗船して犠牲となった方々の慰霊碑で、碑文を書き写すのに手間取ったのでよく覚えている。
八田技師も乗っておられたとは知らなかった・・・・

この船には商社マンや占領地のインフラ整備のための技術者や学校の教師など民間人が多数乗り込んでいた。
いわゆる“その道”の優秀な人が選抜されて南方へ派遣されるため乗り込んだわけだが、一瞬にして海の藻屑と消えた・・・
日米開戦から半年も経たぬうち・・・
このため、日本による占領地の政策に大きく狂いが生じたともいわれている。
そんな話を知っていたので、“コウノさん”などにご披露したのだが・・・
“コウノさん”が「ここに大洋丸の写真があるよ!」と記念室の展示品を指差して教えてくれた。
あ・・・これが、あの大洋丸か・・・・
長崎の慰霊碑が目に浮かび・・・・感無量である。

記念室の職員に、八田技師に関する本がないかどうか尋ねたが、日本語のものも英語のものもないという。
中国語のものはあるそうだが・・・中国語では、ちょっとわかりづらい。
中国語を日本語か英語に翻訳したものが出版されていたらいいのになぁ~・・・残念である。

続いて向かったのが、記念室の直ぐ近くにある『旧放水口』・・・・

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終戦後の昭和20年9月1日・・・
八田技師の妻がここで投身自殺を遂げたらしい・・・
(正確な場所は知らないが・・・)
享年45歳・・・・
う~ん・・・何とも言いようがない・・・つらいなぁ~


より大きな地図で 八田技師記念室 を表示

更に続いて、バスに乗って、今度は八田技師たち日本人技術者が住んでいた家を復元してある場所を見学に行く。

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この建物は、崩れかけるほどのボロボロの廃屋だったものを復元したものである。

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こちらは、八田技師の住居・・・
家屋は崩れ去り、土台しか残っていなかったものを各種資料をもとに復元したらしい。

ここには、中国本土からの中国人団体観光客なども来ていた・・・
どんな説明を受けていたのか、ちょっと興味があるが・・・
軍国主義の日本の悪者の住処・・・なんて言ってるんじゃあるまいな?(大笑)

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この公園には、『絆の桜』と刻まれた、森喜朗・元総理の記念碑が建っていた・・・
ん?桜はどこだ・・・と見回したら・・・
向こうの方に、苗木があったので、多分、あれがそうだろう。(笑)
記念植樹でもしたんだろうねぇ~
上手く育って桜の花が咲いてくれればいいなぁ~と思う。
10年ぐらい経ったら、又ここに来てみるか?(笑)
結構、森・元総理もいろいろと活躍されているんだ・・・と思った。
他の方々は、あまり評価していないような口ぶりだったが、拙者は何もしないよりいいのではないかと思うが・・・どうだろうか?(笑)
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旅行 | 14:56:57 | Comments(0)
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