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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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半年ぶりのルソン島(9)
サンマニュエルから、各自バラバラに撤退した生き残りの将兵たちは、ここから東のサンニコラスまで行き、そこから更に後方へ移動したようである。
戦車師団には、他の歩兵師団のように野戦病院というのは設置されていない。
戦闘になると「患者収容隊」というのを臨時に編成して、負傷兵は他の部隊の編成下にある病院へ移送されるのである。

サンマニュエルからサンニコラスまでは真っ直ぐ道が伸びているが・・・・
途中に大きな川が流れていて、現在はここには橋は架かっていないようである。
当時はここに橋があったかどうかはわからない。
道の感じでは、橋があったと思っていいとは思うが・・・

なにせ戦後60年以上も経っているので、こういう戦跡めぐりは難しい。
道路自体が当時の道路なのか、戦後“付け替え”られたものなのか・・・
「椰子の林の中に戦車を隠し・・・」とか「竹林のところに終結して・・・」など、当時の様子を伝える資料に書いてあっても、現在は、椰子の林も竹林も見当たらないのである。(笑)
「町の郊外に・・・」とあっても、戦後、町が大きくなっている可能性もある。
当時は「郊外」でも今は町の中に含まれてしまっている可能性もある。
生還者に同行してもらい、説明を受ければ、少しは違うかもしれないが・・・
それは今となっては無理である。
自分の経験と勘に頼るしかない。(笑)

我々は、一度南下して橋を渡り、再度北上してサンニコラスの町に向かうことにする。

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サンマニュエルを出発して30分程度でサンニコラスの町の入り口に到着する。

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ここサンニコラスは戦車第7連隊などの生き残りの将兵が撤退してきた場所でもあるが、拙者の祖父がいた場所でもある。
拙者の祖父は、ここに配属部隊をもらい約600名で防衛陣地を敷いていたのである。

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約5分ぐらい走って、サンニコラスの町の中に到着。
ここは町の中心にあるメインストリートに面した市庁舎である。
多分、ここに祖父は連隊本部を置いたのではないかと思う。
資料が何も残っていないので正確なことはわからないが・・・

この市庁舎のすぐ近くに高校がある。
「レッドアロー・ハイスクール」と言うが、このレッドアロー(赤い矢)とは、この地を攻撃した米第32歩兵師団の愛称である。
米軍の部隊の愛称が今も高校の名前として残っている。

ここに米軍の最初の砲弾が飛んできたのは、昭和20年2月1日のことである。
その後、激戦が展開されることになるのである。

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市庁舎前からカバリシアン川方向(東の方角)を見る。
9年前と変わらず閑静な町である。(笑)

ここから真っ直ぐ東に向けて走る。
この先がカバリシアン川・・・・
その川を渡ったところに祖父は物資を集積して防衛陣地を構築していた。
ここを“ドミンさん”と訪問したのは平成15年・・・
9年ぶりの再訪問である。

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到着してみたら・・・あららららぁ~・・・である。(大笑)
かなり荒れちゃっているというか何と言うか・・・・
“ドミンさん”の話によれば、以前、大きな地震があり、そのせいでかなりの被害を受けたのだという。

我々の岸側は以前より軽く2mは“かさ上げ”されていて、どうも堤防を作り直したらしい。
川に吊橋が架かっているのは、9年前と同じだが、かなり高さが高い。(笑)
コンクリート製の橋脚の土台はあるのだが・・・いつになったら恒久的な橋が出来るのやら・・・である。

目を橋の右にやる・・・

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ここには民家が1軒あったのだが・・・・ない!
9年前、ここの庭のマンゴーの木を眺めていたら、家の人が出てきてマンゴーを取って拙者にプレゼントしてくれたのである。
その思い出話を“ドミンさん”にしたが・・・彼は全然覚えていないという。(唖然)
あの家の人・・・大丈夫だったのだろうか?今はどうしているのだろう?

更に目を右にやる・・・・

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川が大きく湾曲している・・・・
向こう岸には、9年前には結構高い堤防があったのだが、ザックリと削り取られているようである。
決壊したようである・・・・
9年前には、あそこを歩いてグルリと向こう側まで行ったんだけどなぁ~
今回は無理なようである。

さて・・・ここで問題が・・・・
吊橋である・・・(大笑)

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この吊橋を渡らねば向こう岸には行けない。
が・・・拙者は高所恐怖症なのである。(大笑)
2mぐらいの高さでも腰が抜けるほど怖いのである。(笑)
しかも・・・なに・・・これ・・・
この竹を割った“床”・・・・隙間だらけじゃない?
もし、この竹の板がパキッって割れたら、ストンって墜ちちゃうんじゃないの?(大汗)
“ステラさん”は「私はここに残りますからぁ~」と・・・・逃げた・・・(大笑)
ドライバーも・・・同様・・・
う~ん・・・・(涙)
「怖いんですけど・・・じゃぁ、行ってくるね・・・」(涙)
みんなは・・・・苦笑・・・・

恐怖心に打ち勝って、何とか向こう岸に渡り終えた。(大汗)

そこには米第32歩兵師団の記念碑が建っている。
が・・・かなり傾いている・・・

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この記念碑は、昔の写真を見るとかなり背が高い記念碑なのである。
台座も含めれば、今、地表に出ている長さの2倍はあるのではなかろうか?
ということは・・・かなり土砂で埋まってしまっているということになる。
この記念碑・・・・
建立されたのは、1945年(昭和20年)の5月である。
この先にあるサラクサク峠の攻防戦が終盤を迎えた時で、5月末に米軍はサラクサク峠の戦闘の終結を宣言している。
ということは・・・終結宣言と同時に建立したということになるか?
なんとも手回しの良いことである。(唖然)

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目の前の丘には、9年前には民家が建っていたが・・・・今では消滅している。
地震のせいで被害を受けたのだろうか?
祖父たちは、この丘から後方に向かって重層に第一線陣地を構築していたのである。

ここはサラクサク峠への西の登り口にあたる。
1880年代にスペインの宣教師が造った道だという。
水牛が通れる程度の道だったというから「獣道」に毛が生えた程度の登山道だったのだろう。
ここに米軍が攻撃を仕掛けてきた・・・
その兵力は1個師団なので軽く1万名は超える・・・
それに対する祖父たちは600名・・・・(笑)
普通なら2日と持ちこたえられるわけがないのだが、この「獣道」に祖父たちは助けられたといってもいいだろう。
敵も一列にならなければ、やって来れないだろうし・・・
連日の猛砲撃を受けながら祖父たちはジワジワと後退・・・
時間稼ぎをしている間に、今年の4月に拙者が登ったサラクサク峠では、戦車を失い歩兵化した戦車第2師団の将兵と配属部隊の将兵が防御陣地を構築したのである。
祖父たちがサラクサク峠に到着した時には兵力は80名ほどまでに減っていたという。
ここからサラクサク峠までの間に約500名が戦死したということになる。

当時の山道は、多分、戦闘中に米軍のブルドーザーで拡幅されたと思うが・・・
今では、その道も崩落して殆ど痕跡を留めていないらしい。
“ドミンさん”が後から橋を渡ってやって来た。
来年当たりに、ここからサラクサク峠に向かって道路が開通するという。
しかし・・・9年前にも同じようなことを言われた記憶があるのだが・・・(笑)
今回は本当に道路が出来るのであれば、是非、そこを走ってみたい。
戦後の遺骨収集団もここでは遺骨収集をしていないようである。
ということは・・・500名もの祖父の部下たちが眠っているのである。
是非、慰霊をしてあげたい・・・・


より大きな地図で 米第32師団の記念碑 を表示
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旅行 | 16:42:09 | Comments(0)
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