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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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三島由紀夫と楯の会事件
三島由紀夫と楯の会事件 三島由紀夫と楯の会事件
保阪 正康 (2001/04)
角川書店

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久しぶりに三島由紀夫に関する本を読む。
久々に三島由紀夫と“出会った”のである。
あれは・・・
昭和45年11月25日。
当時、拙者は小学生だった。
有名な作家が自衛隊の基地で人質を取って立て籠もっているというニュースをラジオで知った。
「なんてぇ悪い奴なんだ」と思った。
後日、先生が森田必勝が三島由紀夫の首を刀で切り落としたという話をした。
今思えば、先生は何で小学生の我々にそんな話をしたのか・・・
おかげで「森田必勝」という名が拙者の心の奥に刻み込まれたが、それっきり拙者の頭から三島と楯の会のことは消えていた。
そして・・・拙者は高校生になった。
二度目の三島由紀夫との“出会い”は高校3年生の時。
月刊プレイボーイという雑誌に三島由紀夫の『憂国の建白書』が掲載された。
ヌード写真などが載っている雑誌を高校生が買ってよいものやら・・・と散々悩んだ挙句思い切って購入した。
確か“七生報国”と書かれた日の丸の鉢巻をして日本刀を持つ三島のイラスト画が目を引いた。
『憂国の建白書』は共感するところが多々あり、当時国防や民間防衛に興味があった拙者にとっては感動すら覚えたものである。
そして、ここからドップリと三島由紀夫に傾倒する。
高校の卒業アルバムの寄せ書きに拙者が書いた文字は・・・「七生報国」である。
国語か何かの授業の時に三島に対する拙者の思いを詩にして発表したところ、同級生から野次が飛んだ。
あの時に何であいつをぶん殴らなかったんだろうと今でも後悔している。
高校時代は三島を少しでも理解したくて彼が書いた小説を読み漁ったものであるが、今では何を読んだのか、どんな話だったのか殆ど覚えていない。
そして・・・昭和55年。
没後10年目に開催された『三島由紀夫展』を見に行った。
東京のどこで開催されたのか、いつ行ったのか全く記憶に残っていないのだが・・・・
大学に進み、社会思想史のレポートで三島由紀夫について論文を書いた。
まもなく、何故拙者が書いたとわかったのか見知らぬ大学院生に学内でいきなり「三島の論文を書いたのは君だろう?」と声をかけられた。
これには驚いた。
彼からは憲法改正を目的とする政治結社の立ち上げに参画するよう誘われたが、税金を払わぬ学生が政治に口出しするのは筋違いだとして断った。
その後、またもや拙者の頭から三島由紀夫は消えていった。
三度目の“出会い”は社会人になってから。
父の会社の後継者として入社して20年の間に2度刑事が拙者に会いに来た。
用件は別件なのだが、明らかに公安の刑事だ。
本来の用件は10分程度の雑談で終わり、残りは必ず三島由紀夫と楯の会の話となる。
事件当時は小学生だったのにねぇ~(笑)

何故か拙者の青春時代に三島由紀夫と楯の会は亡霊の如く付きまとう。
今回、この本を読むことで、三島とは四度目の“再会”となる。
読みながら小学生の頃から今までのことがこのように次々と思い出された。
あの頃の“臭い”を感じるというか・・・
あの事件は望もうと望むまいと拙者にかなりの影響を与えているようだ。
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読書 | 15:59:42 | Trackback(1) | Comments(0)
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ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
正直、納得いかない部分もあるが、1987当時にこの作品が作られ20年以上読まれ続けてるというのには、やはり、理由があるのだと思う。内容は重く暗い影を背負っているが、正直共感できる部分は多く、学生特有の倦怠感、本書のテーマの一部であろう喪失感。少なくとも当時の自 2007-10-12 Fri 12:32:25 | めぐみのブログ

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