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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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半年ぶりのルソン島(8)
先ほどの地元の人たち・・・
拙者が「山下財宝」を探していると思ったらしいと“ステラさん”が言う。
日本人を見たら・・・「山下財宝」探し・・・・
つまり・・・「トレジャー・ハンター」だと思ってしまうところがフィリピンらしい。
なにせ、働きもせず一攫千金を狙いたがる連中が多いのだ。(大笑)

「山下財宝」は、現地では「ヤマシタ・トレシャー」と言う。
「トレジャー」とは濁らず「トレシャー」である。
これは第14方面軍の山下大将が、フィリピンに埋めた財宝を指す。
たしかに、大量の貴金属等が持ち込まれたことは事実である。
が・・・そんなものが簡単に見つかるわけがない。(大笑)
小学生の時に埋めたタイムカプセルだって、数十センチ場所がずれたところを掘ったのでは、いくら掘っても見つからないのと同じである。(笑)
偶然、何かの拍子に見つかるという“偶然”に期待するしかない。(大笑)
探して見つかるようなものではあるまい。

車で5分も走ったところに、ビナロナンの三叉路がある。
たしか・・・ここでも何か戦闘があったはずなのだが・・・
思い出せない・・・(大笑)
拙者の勘違いかな?
ここは関係なかったかな?(笑)
とりあえず、念のため、車を停めて写真だけは撮っておく。

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更にサンマニュエルに向かって走る。
このウルダネタとサンマニュエルの間にサントドミンゴという集落があるはず・・・
そこには「サントドミンゴ地区隊」として、一時期、我が戦車第2師団戦車第3旅団長の重見少将がいた。
旅団司令部には九七式中戦車5両、九五式軽戦車1両・・・・
これに機動砲兵第2連隊第3大隊第9中隊の10センチ榴弾砲4門、師団整備隊などが配置されていた。
ここでは何か戦闘があったというわけではない。
ここに「いたことがある」というだけである。(笑)
重見旅団長以下は、ここからサンマニュエルに部隊を引き上げて、サンマニュエルでの決戦に臨んでいる。

本道上を進むが・・・小さな集落が、次々と現れては消え、どれがサントドミンゴなのかわからない。
タブレットの地図にも集落の名前が記されていないのでわからない。
と・・・目の中に『サントドミンゴ』の文字が飛び込んだ!
「ストップ!ストップ!ここだ!サントドミンゴ!」

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写真の右側にあるのが「サントドミンゴ小学校」である。
ということは・・・ここがサントドミンゴだということだよな・・・(笑)
「良くわかりましたねぇ~」と“ステラさん”が驚いた。
「だって、サントドミンゴ小学校っていう看板が見えたんだもんね!」(笑)

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(サントドミンゴの集落)

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これは・・・マンゴーじゃなくて・・・パパイアの木かな?(笑)

ここを過ぎて、すぐにサンマニエル(サンマヌエル、サンマニュエル・・・どの表記が正しいかわからないが・・・)の町に入る。

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ここ、サンマニュエル訪問の目的は、戦車第7連隊を中心とする将兵の慰霊である。
拙者は、ここに来るのは初めてである。
我が戦車第2師団の戦友会の会長は、ここで戦死された戦車第7連隊の前田連隊長のご子息・・・
いつも、どこで慰霊をされているのかを教えていただいた。
その場所に無事に到着できるか・・・
が・・・“ドミンさん”が、その場所を知っているという。
いやぁ~大助かりである。
一応、マエダ会長からは慰霊場所の略地図を頂いているが、うっかり間違えるかもと少々心配だったのである。(笑)
地図と“ドミンさん”の案内とダブルチェックならば大丈夫だろう。
“ドミンさん”が「ここでいつも慰霊をしている」と場所を教えてくれた。
確かに間違いない・・・略図の通りである。

で・・・問題は、拙者のほうである・・・
お線香を持ってくるのを忘れた!(大涙)
いつも、スーツケースの中にはお線香を入れたままにしているので、確認もせず家を出てきたのだが・・・
なんと!いつの間にかスーツケースから出してしまっていたようである。
いくら探しても、いつもお線香を入れているポーチが見つからない・・・
やっちまったぁ~
大ドジである。
何をしに来たんだ・・・フィリピンに・・・・

というわけで・・・“ドミンさん”が買ってきてくれた蝋燭をお線香代わり(?)に立て・・・
前田連隊長はお酒が好きな人だったので、バギオで“ステラさん”にウィスキーを買ってもらい・・・
これだけで・・・ささやかな慰霊をする。
う~ん・・申し訳ございません・・・(涙)

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我が戦車第2師団は、そもそもは満洲の原野でソ連軍と戦うために訓練をしてきた部隊である。
それがフィリピンへ送られ、米軍と戦うことになったのである。
戦うなら戦車師団一丸となって・・・というのが本望であろう。
それが、各連隊がバラバラに配置され、更には中隊単位で分散配置。
歩兵を掩護しながら夜間に突撃という、訓練を積み重ねてきた本来の形とは全く違う用法で各個撃破されてしまったのである。
戦車の用法も知らぬ方面軍の参謀が命令を出すが、一転二転・・・
いつもの日本軍の悪い癖である。
日本軍が戦争に負けたのは、彼らエリートと呼ばれる、本当は頭が悪い参謀達のせいではないかと思わざるを得ないのである。
現場の判断を重視すればいいものを、余計な口を出し威張り散らしたのだろう。
方面軍の指揮に従うことをためらう重見少将を罷免しようとさえしたのである。
これを庇っていいはずの戦車第2師団司令部は、方面軍と現地との板ばさみになり、どうも積極的に重見少将を擁護しなかったようである。
縦社会というか、官僚主義の弊害というか・・・
結果的には重見少将の部隊を見殺しにしたこととなる。

昭和20年1月9日に米軍がルソン島に上陸した時点での戦車第7連隊の兵力は約870名、戦車は70両であるが、このサンマニュエル地区に集結した時の兵力は約700名、戦車は55両である。
その後のウルダネタ、ビナロナンの緒戦で、約80名の将兵を失い、約50名の負傷者を出した。
特に小隊長以上の幹部将校の多数を失ったため、実際の戦力は半減に近い状態となる。
また、戦車も33両に減ってしまったが、しかも、それは使用不可能な戦車も数両含まれての数字である。
重見少将は、このサンマニュエルを死に場所と決めて死守を命じる。
これに前田戦車第7連隊長も賛同して、ここを“最後の陣地”とした。

昭和20年1月19日午後からサンマニュエル地区に敵の砲弾が落ち始める。
これがサンマニュエル地区の戦闘の始まりであろう。
連日の攻防戦で次々と戦車と兵を失い、最終段階を迎える。
1月27日午後11時過ぎ、総攻撃開始・・・・
参加したのは残存戦車11両・・・
28日の午前0時を過ぎたころ、前田連隊長の戦車が敵弾を受け連隊長は車内で戦死した。
午前2時過ぎごろ、前田連隊長の突撃とその最期の様子を見て、重見少将は旅団長用の戦車に乗り込み、突撃を敢行するが、たちまち敵の砲弾を浴び重見少将も戦死したという。
陸軍の高級将校の中で、敵に向かって突撃を敢行して戦死した人は、重見少将だけではなかろうか?
壮絶なる最期・・・である。
この攻防戦で、かろうじて生き残った戦車は3両・・・
この3両に負傷兵を乗せ撤退・・・・
これをもって、サンマニュエルの攻防戦は終焉を迎え、戦車第7連隊は実質壊滅した。

お供えしたウィスキーを地面に撒いて慰霊とする。


より大きな地図で 戦車第7連隊の慰霊地 を表示
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旅行 | 15:32:11 | Comments(0)
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