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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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細谷地蔵
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細谷地蔵
~細谷十太夫(1845~1907)と『烏組(からすぐみ)』~

諱(いみな)は直英、武一郎とも称し、鴉仙(あせん)と号した。
1868年の戊辰戦争の際、仙台藩の大番士であった十太夫は密偵として二本松にいたが、5月1日の白河城攻防戦の敗戦を聞くや官軍と戦うため須賀川で民兵を募集、博徒、侠客等57人が集まった。
『衝撃隊』と名付けたが、黒装束をまとっていたことから『烏組』と呼ばれるようになり、後には実際に烏を連れ歩いたといわれ、隊旗にも烏を描いた。
槍と刀を武器に夜襲を得意とし、30余戦ことごとく勝利を収めたといいその勇猛果敢な戦いぶりは、『細谷からすと十六ささげ なけりゃ官軍高枕』とまでうたわれ恐れられた。
戦争は、官軍の勝利に終わり、烏組も翌年には解隊となったが、十太夫はその後も陸軍少尉として西南戦争に従軍、また県吏員、牡鹿郡大衡道開拓場長として士族授産事業にかかわり、さらに日清戦争にも軍夫千人長として参加するなど多方面に活躍した。
晩年は、仏門に入りかねて敬慕していた林子平の墓所・ここ龍雲院の住職となった。
墓は、本堂西側にある、この座像はその十太夫の姿であり『細谷地蔵』という。

(説明板より)


より大きな地図で 細谷地蔵 を表示



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史跡 | 17:02:03 | Comments(0)
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