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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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仙台東照宮
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東照宮由緒

御祭神 徳川家康公
例祭 4月11日

仙台藩2代藩主伊達忠宗(だてただむね)公は、徳川幕府への尊崇・感謝の標として、慶安2年(1649)5月28日、3代将軍徳川家光公に東照大権現の仙台勧請(かんじょう)を願い出て許しを受け、同年8月17日普請始(ふしんはじめ)(着工式)を行った。
この地は玉手崎(たまてざき)とよばれ、天正19年(1591)10月、徳川家康公が葛西大崎一揆の視察を終へて江戸へ戻る途中、藩祖伊達政宗公と宿陣された所で、祭神縁(ゆか)りの場所として社地に選ばれたという。
尚、この地にあった天神社は東隣に移され、寛文7年榴岡に移された(現在の榴岡天満宮)。
社殿が完成したのは、着工以来5年後の承応3年(1654)である。
同年3月16、17日に造営落成御遷座(ごせんざ)の儀式が荘厳(そうごん)に行われた。
造営に当った人足58万3千675人、大工12万9千967人、材木2万4千730本、総工費小判2万2千496両を要した。
諸国に材を求め、一流の工匠が工事に携(たずさ)わる等、仙台藩総力をあげての大事業であり、伊達文化の粋を結集したものであった。
以後、伊達家の守護神として尊崇され、明暦元年(1655)より毎年9月17日を祭典日と定め、藩主在国の年には城下18ヶ町に命じ神輿渡御(みこしとぎょ)の先駆として山鉾を出さしめ、藩内最大の祭礼であった。
この祭を仙台祭と称し、江戸時代末期まで盛大に行われた。
昭和10年8月6日早朝、失火により弊拝殿(へいはいでん)が焼失し、貴重な文化財が烏有(うゆう)に帰したが、昭和39年11月17日、氏子崇敬者の協力により原形に復興された。
本殿・唐門(からもん)・透塀(すきべい)・随身門(ずいしんもん)・石燈籠(とうろう)・石鳥居(とりい)は国指定重要文化財に、手水舎(てみずや)は県指定有形文化財に、それぞれ指定されている。
昭和53年6月、唐門・透塀の大修理が竣工、昭和55年6月には本殿の修復工事が完了して、創建時の荘厳華麗(かれい)な姿に復元された。

境内社 古峰神社
境内地 9千700坪
鎮座地 仙台市東照宮1丁目6番地1号
東照宮社務所

(説明板より)

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重要文化財 唐門・透塀
昭和28年3月31日指定

唐門は一間一戸向唐門、銅瓦葺。
正面円柱、背面角柱、花崗岩の礎盤の上に立つ。
天井と垂木の間、蟇股、扉の綿板に金箔を押す。
蟇股に牡丹の花、扉の綿板には紗綾形模様を彫り出し、鳳凰、麒麟、唐獅子の浮彫を付ける。
鳳凰は動乱の世を鎮める名君の象徴で、牡丹は富貴善美を表わしている。
彫刻部分に生彩色を施し、破風板、木口等要所に飾金具を取り付けた、形態均衡をえた流麗な門である。
透塀は一周延長四十四間(79.4メートル)、銅瓦葺。
花崗岩の基壇上に土台を廻し、角柱を建て、腰長押、内法長押を付す。
襷文、連子窓は黒漆喰。
長押には飾金具を付ける。

弊拝殿
弊拝殿は御神前に弊帛や献上物を捧げ、祭祀を行う為の社殿である。
大きさは三間二間、背面に一間一間の弊殿を設け、屋根は入母屋造銅瓦葺。
軸部は頭貫・長押・板壁の和様で桟唐戸が付く。
創建当初の弊拝殿は昭和10年8月6日、失火で焼失し、現在の社殿は昭和39年11月に、氏子崇敬者の尽力により原形に復興された建物である。

(説明板より)

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県指定有形文化財
昭和39年9月4日指定
手水舎(てみずや) 附水盤

承応3年(1654)造。
木造、欅材、木地呂塗。
屋根切妻造銅瓦葺。
水盤は備前国大島産の花崗岩で出来ています。
手水舎は参拝の前に口と手を水で洗い、心身(しんしん)を清めるところです。

(説明板より)


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史跡 | 15:55:31 | Comments(0)
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