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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ルソン島の旅(12)
前回は、このタコツボのある場所で引き返したが・・・・
今回はそれより更に先へ進むことにする。

以前、戦車第2師団速射砲隊(対戦車部隊)の山下少尉から葉書をもらったことがある。
「あなたのおじいさんの陣地のすぐ後ろに陣地を造って戦ったんですよ」とのこと。
詳しいお話をうかがおうと思っていた矢先、訃報が届いた・・・お亡くなりになったという。
まさかの訃報・・・そんな・・・バカな・・・である。
これは本当にショックだった・・・・
平成19年没・・・・

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祖父の陣地の直ぐ後ろって・・・この山になるんだけど・・・・
わからん・・・
速射砲隊の本隊は「ナツ陣地」の北西にある「マツ陣地」に陣取って最後まで敵を寄せ付けない戦いをしていたらしい。
山下さんは速射砲の整備中隊所属・・・・
整備中隊だけが、本隊からこんなに離れた場所に陣地を造ったのか?
「直ぐ後ろに・・・」というのは、どういう意味だったのだろう・・・
あ~あ~永遠の謎である!

山頂から左は密林、写真の右側には樹木がない・・・
どのあたりまで米軍の砲爆撃を受けていたかが明確である。
と、同時に、日本兵がいた場所と、そうではない場所も明確ということになる。
この山の密林の手前まで尾根を登ることにする。
このあたりだったのかなぁ~
山下さんがいた場所は・・・・

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隣の山の斜面から見た「高田山」・・・・
写真の右端の斜面、くびれたところに戦車第10連隊本部の壕があった。
ということは・・・祖父の部隊の連隊本部壕もこの斜面のどこかにあったはずである。
が・・・痕跡は全く見えない。
この「高田山」では戦闘終了後、米軍が250名以上の日本兵の死体を確認したと記録に残している。
同時に、横穴陣地内に同数の日本兵を閉じ込め殺したと記録されているが、横穴陣地内に何人の日本兵がいたのかは、わかるわけがないので、同数、つまり250名の日本兵を生き埋めにしたりして殺したというのは、ちょっと信用できない。
が・・・この山の地表には250名以上の日本兵の遺体があったことは、ほぼ間違いないだろう。
で・・・その遺体・・・どこへ行ったのだろうか?
谷底に投げ込んだか?
米軍の言う、250名ほどを生き埋めにしたというのは大げさだろうが、いずれにせよ、何人か、何十人かは生き埋めにされたことは確かなようである。
この山の土の下に眠っているのである。
あ~・・・どんな思いで息を引き取ったんだろう・・・
米軍は横穴壕の入り口を爆破して入り口を塞ぎ日本兵を生き埋めにしたり、壕の入り口からガソリンを流し込み焼き殺したという。
祖父の指揮下で戦った方々・・・もう土になっちゃったんだろうなぁ~
指揮官の孫がお参りに来たという事で成仏してくれたらありがたいが・・・

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祖父の陣地跡「高田山」に立つ拙者・・・です!(笑)

これ以上、進むのは止めて、帰る事にする。
なにせ“ステラさん”から「お昼までには絶対戻って来て下さいよ!」という絶対命令を受けているのである。(笑)
多分、拙者の事だから、どこまでも行っちゃうんじゃないかと思ったのだろう。(大笑)

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「サラクサク第2峠」頂上から「天王山」を見る・・・・
この「天王山」には、祖父が撤退してきたときに、歩兵第39連隊の乾(いぬい)中尉の指揮する大隊が陣地を構築していた。
この大隊はフィリピンに上陸する前に輸送船が撃沈され、大隊長以下、多数が溺死したため、乾中尉が大隊長として選ばれ再編成したが、「大隊」とは名ばかりで、実際は1個中隊、100名程度だったようである。
この乾中尉は血気盛んなる青年将校で、人物的にもかなり高い評価を周囲から受けていた人らしい。
この「天王山」を自分の死に場所と決めて陣地を造っていたという。
当時の作戦命令は、まさしく朝令暮改・・・・
陣地が出来上がる頃になると、他の場所に移動しせよとの「陣地転換」の命令が来る。
これは、ここだけではなく、他の地域、他の部隊でも同様だった。
どうして“エリート”の参謀連中はコロコロと命令を変えたがるのか・・・
本当の意味での“エリート”なのかと拙者は疑いたくなるのである。
だから、拙者は“エリート”というのが嫌いなのである。(笑)
「乾が死ぬ気で陣地を構築しているので、絶対、陣地転換命令は出さないで欲しい」と、周囲から上層部へ異例の申し出があったというのだから、この乾中尉という人は凄い人だったのだろう。
祖父がボロボロになってこの山に辿り着いたのは、多分、昭和20年3月15日頃のことである。
一息ついて・・・乾大隊を指揮下に入れ、祖父は隣の「高田山」に陣取った。
まもなく米軍の攻撃を受けて乾中尉は戦死する。
部隊も全滅して占領され、それから取ったり取られたりの争奪戦が繰り広げられた。

戦後、祖父は、この乾中尉の遺族のところへ戦死状況を報告に行ったという。
確か、母一人子一人の母子家庭だったと思う。
なにせ、小学6年生の頃に聞いた話である。
乾中尉の母親は、自分の息子が死んだことより、なぜ戦死したのに2階級特進せず、階級が1階級しか上がらなかったのかと祖父を問い詰めたらしい。
祖父が何度説明しても、納得してくれなかったという。
しつこくなじられたらしい。
特攻隊ならいざ知らず、普通の戦闘で戦死して1階級特進する事自体、異例であり名誉なことなのだそうだが、2階級じゃないのが納得できないと責められたという。
「息子が死んだことより階級のことにこだわるんだから、参ったよ。ああいう母親もいるんだよなぁ~階級がそんなに大事なのかと言いたくなったが・・・・散々責められてなぁ。どうして階級をもっと上げてくれなかったんだって。あれには、本当に参った」と祖父が言ったのを覚えている。
へぇ~そんな母親が世の中にはいるのかと思ったが・・・
今になって思うと、階級が上がることで、息子は価値ある戦死をしたんだと、そういうことで、この母親は息子の死を受け止めようとしたかったのかもしれないと思うのである。

熱血漢の乾中尉が眠る「天王山」に別れを告げ・・・麓まで降りる。

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振り返ると・・・密林の向こうに「高田山」の頂上がチラリと見える・・・

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途中で見かけた花・・・・名前は知らない・・・・(笑)
もっと咲きほこってくれたら、英霊達は気が安らぐか?

“オマリオさん”の家に戻る途中、慰霊碑に立ち寄り、昨日修復した碑文の様子を確認する。
なにせ、雷雨でかなり濡れたから、マジックで染めた文字がどうなったか気になったのである。(笑)
碑文の文字は流れず、綺麗なままだったので安心した。

「ハイ、ちゃんとお昼までには戻って来たでしょ!(笑)」と“ステラさん”に挨拶・・・
彼女は庭に出て、我々が山を登っているのを見ていたと言う。
「途中で、スッと姿が消えたので驚きましたが、また山を登っていく姿が見えたので安心しましたよ」
「あ・・あれ・・あれは・・・座ってタバコを吸ってたんだよね~」
「やっぱり!タバコ・・・吸ってたんですか!そうかなとは思ってましたけど!(笑)」

我々が戻って、まずはコーヒーで一服しているところ、村に住む女性が遊びがてらやって来た。
昨日も子供を連れて遊びに来ていた女性である。
で・・・彼女が持参してきたのは日本軍の認識票・・・

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どこでこれを見つけたのかと尋ねたら「ダラワン」だという。
「ダラワン」とは、場所的には「天王山」あたりを指す現地の地名らしい。
問題は、この5枚の認識票を「天王山」のどのあたりで見つけたのか・・・
5枚一緒に見つけたのか、それとも別々の場所なのか・・・
細かいことを尋ねたかったが、英語が通じないし、“ステラさん”を通じて尋ねても、「ダラワン」としか言わない。
あ~あ~・・・出発前に持ってきてくれればねぇ~
見つけた場所を案内してくれって頼めたかもしれないのに・・・・
この認識票を見つけた場所が山の頂上なのか、谷間なのか、麓なのか・・・
見つけた場所にはご遺骨があるかもしれないではないか?

認識票の刻印は5枚のうち4枚は読み取れなかったが、1枚だけ鮮明に読み取れるものがあった。
が・・・誰のものかは名簿がないとわからない。
個人番号は名簿と突き合せなければ氏名はわからないのである。
その名簿は、戦地では当然残っているはずもないし、内地にあったとしてもどの部隊も終戦時に焼却処分をしてしまっているので現存していない。
認識票と一緒に遺骨が見つかっても個人を特定することは残念ながら不可能である。
なんで処分をしてしまったのやら・・・
日本人はパニックに弱い国民である。
先々のことも考えない・・・
敗戦となり、米軍の手に渡ることを恐れて書類は何でもかんでも焼き捨ててしまったのである。
バカである・・・隠せばいいものを・・・
どうせ“エリート”と言われる連中の命令だったのだろう・・・・

写真だけを撮らせてもらい、彼女に返し、大事に保管しておいてくれと頼む。
と・・・彼女はちょっと怪訝な顔をした。
彼女が去ってから“ステラさん”が「彼女は、あのドックタグ(認識票)を買ってもらいたかったんじゃないでしょうか?」と言う。
拙者も、一瞬、そうかなとも思ったが・・・
これは難しい問題である。
果たしてカネを出して買っていいものかどうか・・・
英霊に対して、どうのこうのというのもあるが・・・・
カネで買い取るという前例を作ることが果たして良い事かどうか・・・
悩むところである。
何でも売れると思われて、いろいろと持ち込まれても困るし・・・
逆に、カネがもらえるとなれば、色々な遺品を見つけ出してくるかもしれないし・・・
どっちがいいのか・・・
理想は「差し上げます」と言われて、「それじゃ悪いから、御礼を・・・」なんだけどなぁ~
カネで“買い上げる”という感じでは抵抗があるんだよなぁ~
(結局は同じことなんだろうけども・・・)

さて、食事の前に汗を流さねば・・・
“オマリオさん”宅にはシャワー室はあるが、蛇口をひねってもお湯は出ない。(大笑)
薪でお湯を沸かしてもらい、熱湯が入った小さなバケツをもらう。
これをシャワー室に置いてある大きなバケツに入れ・・・・
そこに水を入れて適温にぬるめて、それを柄杓ですくって浴びるのである!(大笑)
このぬるめるのが難しい・・・・
下手に水を入れ過ぎると、ぬるすぎて風邪を引きそうになる。
なにせ、ここは高所・・・結構、寒いのである。
特に夜は急激に冷え込むので、拙者はジャージ持参である。
慎重に水を加えながら適温にして・・・・
頭を洗い、体中に石鹸を塗りたくり、柄杓で湯をかけて流すのだが、これまた難しい・・・(笑)
背中なんぞ、うまく湯がかからないのである!
柄杓でバシャッとかけたつもりが・・・肩越しに壁にお湯をぶっかけているという具合で、背中の石鹸が流れない!(大笑)
なんと不器用なことか・・・・(涙)
お湯には限度がある・・・バケツ1杯分しかないのである!
無駄には出来ない・・・・
いかに普段、贅沢にお湯を使っているかを思い知るいい機会である。
こういう“不便さ”を体験することは大事なことだと拙者は思うのである。
だから、たまにはここへ来て不便さを楽しみたいのである。(大笑)
こういうことを体験すると、なんとなく自分が“正常”に戻ったような気になるのである。(大笑)
なんとか無事にバケツ1杯のお湯で“入浴”を完了する。
大成功!(大喜)
今回は、バケツ1杯のお湯で頭も体も洗えたのが何とも感無量・・・・
昨年の震災の時の不便さよりも、まだ幸せなんだから・・・なんというか、幸福感というか・・・
「いやぁ~ボクは~幸せだなぁ~」とつい言いたくなる。(大笑)
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旅行 | 10:20:02 | Comments(0)
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