FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

ルソン島の旅(11)
189_convert_20120610094459.jpg190_convert_20120610094621.jpg

まもなく「サラクサク第2峠」の頂上に到着。
すぐ脇の「アキ陣地・天王山」の側面を回りこみ、南西方向を見る。
多分・・・左端の奥に聳える尖がった山は“瀧上大隊”が戦った「ゲリ山」だと思う。
山口の“コンドウさん”が戦っていた山ではなかろうか・・・
あとで写真を送ってあげよう。(笑)
その向こうに「カバリシアン」という場所がある。
雲がたなびき、霞んでいて良く見えないが・・・
ここに祖父の部隊がいた・・・・兵力は約600名・・・
そこへ米第32師団が攻撃をかけてきた。
多分2万名近かったろう。
1個師団対600名では勝ち目はない。
が・・・写真の右方向の山伝いに、ジワジワと時間稼ぎをしながら、ここまで後退して来た。

この時の様子をここから見ていたのが独立歩兵第11連隊第2大隊長の“フジグロ”少佐・・・・
今でもお元気である。
猛烈な砲撃を受けているのをここから見ていたという。
「あなたのおじいさんの戦いぶりは凄まじかったんですよ。猛烈な砲撃を受けてね。あれでは全滅したなと思ったら、翌日には少し下がった場所が砲撃されている。ということは、まだそこで生きているということですよ。3日も持つまいと思っていたが、2週間も粘ったんですからね。あの様子は今でも目に焼きついてるんですよ」と、お会いするたびに話してくれるのである。
今では当時の山道は崩壊して痕跡も残っていないので、どこをどう後退して来たのは分からない。
できれば、一度、その道を辿ってみたいというのが拙者の夢である。
そこには政府の遺骨収集団も入っていないので、いまだに多くの祖父の部下達が眠っているのである。
お線香をあげてあげたいなぁ~

ここに到着したときには祖父の部隊は600名から80名に減っていた。
その間、多くの部隊がここに投入され防衛陣地を構築していた。
その主体は戦車第2師団であるが、その他、飛行機を失った航空部隊や鉄道部隊など、何でもかんでも手当たり次第に投入したのである。
なにせ、1個師団の進撃をたった600名の祖父の部隊だけで食い止めようというのには無理がある。
とにかく祖父達が時間稼ぎをしている間に防衛陣地を構築せねば・・・ということで続々と応援部隊が投入されたのである。

191_convert_20120610102844.jpg

「天王山」の南斜面・・・・
当時の山道がわずかに残っている。
この道を向こうからボロボロになった祖父たち80名が歩いてきたんだろうなぁ~
拙者が今、立っているところは、この「天王山」が戦場となった時に、米軍の遺体置き場だった場所である。
戦死した米兵の遺体を、米軍はここに一時的にここに集めていた。

182_convert_20120610105443.jpg184_convert_20120610105621.jpg

「天王山」から見る・・・・
左端の平坦な場所が「サラクサク第2峠」(南側)、その右の山が「フユ陣地」の「高田山」である。
ここに後退して来て一息ついた後、祖父達はここの配置に着いた。
「高田山」は戦車第10連隊第4中隊の高田中隊長がいたので「高田山」と名付けられた。
高田中隊長は戦後、佐藤と姓を変えている。
この地域は戦車第10連隊(原田連隊)の守備範囲・・・・
祖父は原田連隊長の指揮下に入る。
平地戦で戦車と兵員を失った高田中隊は「中隊」と言っても51名しかいない。
ここへ祖父達が合流し、高田中隊を指揮下に置く。
佐藤(旧姓高田)中隊長が負傷して後方へ下がったときの中隊の生存者は6名ほどいたらしいが、その後まもなく全員が戦死・・・・
第4中隊で戦後生還したのは中隊長の佐藤さん(旧姓高田)一人だけである。
その佐藤さんも平成18年に他界された・・・・

当時は「昼なお暗い」と表現されるくらいの密林だったが、米軍の砲爆撃のおかげで密林は消滅・・・
山の形もかなり変わってしまったという。
当時はどんな感じだったのだろうと、またまた頭の中は昭和20年に・・・・(笑)
米軍は、この攻撃の時にガソリンを撒き火をつけたらしいので、そのせいなのか、“密林”は今もって再生されていない。

写真の右側のほうは、山の斜面が崩れているのが何箇所も見られる。
以前見たときは、こんなに崩れてはいなかった場所である。
ここ最近の長雨のためなのだろう。

187_convert_20120610112835.jpg

「案内人」の2人・・・・
赤い帽子の“彼”が、英語のわかる村人・・・(笑)
で・・・拙者がこの戦場の話を英語で教えるのだが・・・
彼は、一緒にいる“おじいちゃん”には伝えない。
おい、おい、それじゃ通訳にならねぇじゃねぇか!(大笑)
青い帽子を被っているのが自称、山に詳しい“おじいちゃん”・・・・
人のいい“おじいちゃん”で、何を言ってもニコニコしながら「ハイ!」と答える。
「ハイ」は万国共通の言葉なのか?(笑)
日本語だと思うんだけど・・・
拙者が話していても「ハイ!」と返事をする。
あれ?英語がわからないはずだが・・・???
「俺が言っていることわかってないでしょ?」と言ったら・・・・
ニコニコしながら「ハイ!」
あ・・・やっぱりね・・・(大笑)

212_convert_20120610124337.jpg

「高田山」北側斜面・・・・
左端が「フユ陣地」の「高田山」
真ん中が「サラクサク第2峠」の頂上・・・・
「高田山」の脇を回り込む当時の山道の一部が残っている。
一番右端の山が「アキ陣地」の「天王山」である。

崩落している場所は、当時、機関銃陣地があった場所である。
横穴が掘られていたはずで・・・・
多分、入り口は埋まっていたが、中は空洞だったのではないだろうか。
地震や風雨で、空洞が崩落し、それが起点となって表面が一気に崩れ落ちたのではないかと思う。
この地域は時々地震が起こるのである。
以前、地震のせいで丘の表面の土が崩れ、ポッカリと日本軍の横穴陣地が顔を見せたということがあった。
ちょうどその頃、“遺骨収集”を目的とする数名の日本人青年がやってきて、その穴を滅茶苦茶に掘ったが日本兵のご遺骨は見つからなかった。
見つかる可能性は低いのである。
場所的に、そこは「棲息壕」で、「戦闘壕」ではない。
知識のないド素人たちに滅茶苦茶に掘られた跡へ地元の人に案内されて愕然とした・・・
これじゃ“破壊”である。
こんな掘り方じゃ、見つかるものも見つからない・・・
そのままにしておいてくれていたら良かったのに・・・・

207_convert_20120610122945.jpg

その直ぐ左側の斜面・・・・
ここにも当時は、いくつもの横穴陣地が掘られていた。
が・・・ここの土質は軟らかい・・・
掘るのも簡単だが、崩れるのも簡単である。
今では、横穴の入り口は塞がれ、どこにあったのかはわからない。
何人もの日本兵が生き埋めになっている可能性はある。

入り口だけ崩れて内部が空洞になっているとしたら・・・
その空洞を探せるような機械があったらなぁ~と思う。
まぁ、掘るのは人力では難しいと思うけど・・・

208_convert_20120610154735.jpg

「高田山」の北側斜面から慰霊碑のある方向を見た景色・・・・
向こうの山裾の近くに見える建物が“オマリオさん”の家・・・
中央に見える丘が慰霊碑のある「サル陣地」である。
が・・・こうして山のほうから見てみるとかなり大きな丘である。
これが配置図にも記載されていない「サル陣地」とは考えにくい。
祖父の指揮下にあった山下大隊のいた「スズメ陣地」の可能性が高い気がするんだけどなぁ~
この丘は、米軍のB25爆撃機などの攻撃に曝された。
今でも爆弾の落ちた跡が残っている。
1トン爆弾だという話だが、果たして本当に1トンだったかどうかはわからない。
かなり砲爆撃の集中攻撃を受けていたようで、ボコボコに削られている。
本当は土饅頭みたいな形、御椀を逆さに伏せたような形だったのではなかろうか?

209_convert_20120610160023.jpg

左のほうを見る・・・
中央のわずか左よりのところに形の悪い丘が見える。
これが「ナツ陣地」のはずである。
米軍の砲爆撃の跡が見える。
こちらの丘は、本当は三角形の山だったのではないかという気がするが・・・
向こうの奥に見えるのが「イムガン山」・・・・ちょうど、霧が山頂にかかっているあたりである。
その裾野に「ハル陣地」があった。

向こうの山のほうから、こっちに向かって「ハル」「ナツ」・・・と続く。
手前の丘が蒲田中隊長がいた「蒲田山」だが、ここから見ると、山には見えない。(笑)
2つほど瘤のような丘があるので、それを「山」と称したのだろう。
我々はあそこの尾根沿いを歩いてきたわけである。

ふもとの村から見たのでは、こういう配置状況がよくわからない。
米軍は写真の左方向から右へ向けて進撃してきた。
陣地の構築の指揮を取り、それぞれに陣地名を付けたのは固武(こたけ)工兵隊長である。
固武さんが、どこからこの一帯を眺めて陣地の配置を決めたのか・・・
自分が工兵隊長になったつもりで考えねば・・・・・

あ~でもねぇ、こ~でもねぇと説明しているうち・・・・落ちた!(ギャッ!)

213_convert_20120610161514.jpg

「タコツボ」である・・・
説明に熱が入りすぎ・・・思わず、「タコツボ」に落ちてしまったのである!(大笑)
「案内人」たちは大笑い・・・・チクショウ・・・笑われてしまったぁ~
真面目な話をしていたのに・・・(笑)
この「タコツボ」・・・何度もここに入ったことがある「タコツボ」である。
ここに登ったのは今回で3回目・・・
最初は何が何だかわからず登り、この「タコツボ」を見つけた。
2回目には、ここが「高田山」だとわかり、この「タコツボ」に入ってみて、当時の兵隊の気分に浸った。
ひと一人がようやく身を隠せる大きさの竪穴である。
ここから、向こうの「天王山」の頂上を占領した米軍を狙い撃ちしたわけである。
この「タコツボ」から頭を出して・・・パン!・・・と三八歩兵銃を撃つ。
すると、向こうの山頂から、ダダダダダ・・・と撃ち返される。
その間、ジッとこの穴に身を潜める・・・
多分そういう状況だったのだろうなぁ~と思いながら、この穴にもぐりこんだものである。
この周辺にはいくつもの、このような「タコツボ」が残っているのだが・・・
なぜか、毎回、この「タコツボ」に引き寄せられるのである。
探さなくても、なぜかここに辿り着くのである。
不思議なのだ・・・
今回は、遂に・・・落ちた!(大笑)
ここに穴が開いてることを何で忘れてしまっていたんだろう?
マイッタァ~
スポンサーサイト





旅行 | 09:41:28 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する