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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ルソン島の旅(10)
昨日は雷雨で、果たして今日、山を登れるか心配したが・・・
朝起きてみたら何とかなりそうな天気のようである。
「ようである」という意味は・・・
この「マリコ村」の早朝は、霧に包まれて真っ白なのである。(笑)
朝5時、薄暗い中、1m先も見えないのである。
そこから段々霧が晴れてくる・・・
6時ごろになって、ようやく周囲がわかるようになるが、遠くの山々は真っ白で何も見えない。
毎度のことである。
午前7時過ぎ頃から風が吹き出し、サァ~ッと霧が流れていく。
拙者はこの時の景色が一番好きである。(喜)

さて、朝食を済ませ・・・午前7時に“オマリオさん”の家を出発、「案内人」2人を“連れて”山に向かう。(笑)

日本軍は「イムガン山」の裾野から南に向かって「ハル陣地」「ナツ陣地」「アキ陣地」「フユ陣地」と、四季の名を付けた陣地を、ほぼ一列に並べた。

168_convert_20120608213451.jpg

向こうに見える丘は「ナツ陣地」だと思うが、まだ行ったことはない。
それにしても、丘の形が少し変わってしまっている気がする。
以前は、もっと丘(山?)の頂上が尖がっていたと思うのだが・・・
拙者が“ご無沙汰”している間に先端部分が崩れてしまったのだろうか?
戦時中は、もっと形のいい山だったに違いない・・・・
米軍の砲爆撃で、あっちこっちがザックリと削られてしまっている感じである。

拙者が向かうのは・・・「フユ陣地」・・・・
拙者の祖父のいた陣地である。

途中、「ナツ陣地」と「アキ陣地」の間にある「蒲田山」に登る。
小高い丘である。

172_convert_20120608213738.jpg

ここには戦車第10連隊第2中隊(蒲田中隊)がいた。
中隊長の蒲田さんは生還されているが、平成21年に他界されている。
お亡くなりになる直前まで、戦車第2師団司令部を恨んでいた・・・・
ある日のことである・・・
師団司令部から「サル陣地」へ応援の兵を出すように命令された。
部下達を「サル陣地」へ向かわせたところ、そこには米軍がいて、「応援に来たぞ!」と声をかけた途端、撃たれて何人もの戦死者を出したという。
命からがら生還した部下の報告を受けて、師団司令部へ連絡したところ、「何を言っておるのか!今、サル陣地から伝令が来ている。米軍に占領されているわけがない!ただちにもう一度、兵を出せ!」と命じられたそうである。
で・・・もう一度、応援の兵を出したら、今度もやっぱり陣地にいたのは米兵達・・・
待ち伏せに遭い、またまた部下達を何人も失ったという。
結局・・・・
師団司令部の言う「サル陣地」と、第一線で戦っている部隊の認識している「サル陣地」の場所が違うのである。
「弾の飛んでこない後ろのほうで地図だけを見て指示を出すからこんなことになるんだ!こっちに来て自分の眼で確認しないからな、あいつらは・・あいつらのせいでムダに部下達を死なせしまったんだ。死ななくていい部下を死なせちまったんだ。だから俺は絶対あいつらを許せないんだ」と憤慨していた・・・
戦後60年以上も、恨みが消えないのには、正直言って驚いた。
中隊長としては、部下を無駄死にさせてしまったことが、どうしても許せないのだろう。
心の傷は深い・・・・
蒲田中隊で、戦後生還したのは8名だと言っていたと思う。
その蒲田さんが陣取っていたのが、この丘(山?)だったと思う。
このあたりの判断がチョット難しい。
なにせ、戦線が移動するに従って、配置される部隊も移動したりして変わることがある。
略図によって「蒲田山」と記されていたり「井上山」と記されていたりする。
これは同一の山を指しているのか、それとも「蒲田山」の尾根続きの隣のコブのような丘を「井上山」としたのかが、良くわからないのである。
略図には等高線も描いてないし・・・
生還者も、もう他界しているし・・・確認のしようがない・・・

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「蒲田山」の頂上から見た「アキ陣地」方向。
右端が「アキ陣地」の「天王山」、中央のくぼんでいるところが「サラクサク峠」の頂上、左端の霧に少し隠れているのが「フユ陣地」の「高田山」である。

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「蒲田山」の尾根伝いに「サラクサク第2峠頂上」に向かう・・・・
写真では、良くわからないが、左側は崖、深い谷なのである。
足元が悪く、足を踏み外したら・・・と思うとゾッとする場所・・・・
高所恐怖症の拙者にとっては“難所”の一つである。(涙)

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「蒲田山」から「天王山」へ向かう道を、後ろを振り返って撮影・・・・
向こうに見える「蒲田山」から蒲田中隊長率いる戦車第10連隊第2中隊が斬り込みの時に歩いたルートである。
途中、米軍の待ち伏せに遭い、斬り込みを断念して引き返した。
多分、案内人が写っているあたりだと思う。
初めてここを歩いた時に、拙者はビデオカメラを回したまま歩いたのである。
録画状態にしたまま、右を向き、左を向き・・・そしてまた真っ直ぐ歩く・・・
そのビデオを蒲田さんにお送りしたところ・・・
「いやぁ~!あなたが歩いていた場所は、私が斬り込みの時に歩いた道でねぇ~。いやぁ~懐かしかったぁ~!まるで、自分が歩いているみたいで・・・あそこはね、25歳の時の私の青春時代の場所なんですよ。まさかまた見られるとは思わなかったぁ!」と大喜びしてくれた。
「2回も見ちゃいましたよ!」とおっしゃる。
蒲田さんは、この時には既に寝たきり状態だったようで、お会いしたいが、無理だと断られた。
お電話だけでしか“お会い”したことがないが・・・・
あ~・・・蒲田さん!久しぶりに歩いたよぉ!・・・どこかで見ているかな?(笑)
あの時の蒲田さんとの電話でのやり取りを思い出しながら・・・歩く・・・・
ちょっと・・・寂しい・・・(涙)

いつの攻撃の時だったか・・・公式記録では、「天王山」への攻撃は、第1中隊(魚形中隊)と第2中隊(蒲田中隊)の2個中隊で行われたことになっている。
が・・・蒲田さんたちは途中で待ち伏せに遭い、「天王山」の手前で引き返している。
突撃をしたのは、第1中隊のみで、この時に、魚形中隊長は戦死している。

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魚形中隊が突撃したのは、この北側の斜面である。
ここをよじ登って攻撃をかけ、全滅した・・・・
たぶん、この密林の中に、魚形中隊長以下多くの将兵が眠っていると思う。
ご冥福をお祈りする・・・・

公式記録は、生還した参謀などの“偉い人”の証言が基本となっているのだろう。
2個中隊で攻撃することになっていたので、命令どおりにやったに“違いない”・・・
だから『2個中隊で攻撃した』と記録に残す。
実際は、蒲田中隊は引き返しているので1個中隊だけの攻撃である。
実際にはどうなったのかの検証はされていない。
命令に逆らう“はずがない”・・・・
命令を遂行したに“違いない”・・・である。
こんな調子だから、間違ったことが「公式記録」として残ってしまう。
この手の話はいくらでもある。
証言できる人達は年々いなくなり・・・間違った「公式記録」だけが後世に残る。

第4中隊長の佐藤さんから「公式記録など信用するなよ」と言われたことが今も忘れられない。
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旅行 | 08:16:25 | Comments(2)
コメント
またまた驚きです。そんな事ってあるのですか。
どうしてそんな命令が安易に出せるのか?どう考えても理解できない。
大切な命が、、、
勉強になります。重衛兵さんありがとうございます。
蒲田さん重衛兵さんのビデオは懐かしかったでしょうね。嬉しかったでしょうね。
お亡くなりのなられた時、そこをお訪れてから、
部下さん達のおられる靖国神社にお話しにいらっしゃた気がします。
胸に、じーーんと来た日記でした。 合掌
2012-06-10 日 13:43:15 | URL | お染 [編集]
Re: タイトルなし
蒲田さんにはお会いできないままお別れしましたが・・・・
多分、「蒲田山」に立ち寄って旅立たれたことと思います。
無事にあの世で部下達に会えたかなぁ~・・とふと思ってね・・・
「蒲田山」で物思いにふけっちゃいました。

蒲田さんは、当時、25歳ですからね。
部下が次々と戦死していくのは辛かったでしょう。
今の25歳なんて“ガキ”ですよね。(笑)
耐えられるかなぁ~この苦痛に・・・・
2012-06-12 火 10:21:34 | URL | 野牛重兵衛 [編集]
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