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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ルソン島の旅(8)
我が乗用車が脱輪した場所から歩いて約10分程度で「マリコ村」の入口に辿り着いた。
時刻は午後4時過ぎである。
村の入口に豚が繋がれていた・・・
あらら・・(笑)
以前来たときには豚なんか見かけなかったのだが・・・
以前より少しは裕福になったのだろうか?

133_convert_20120606182517.jpg

以前来たときは、何もない、ただの荒地が大農場に生まれ変わっていた!
これには驚いたが・・・・
そこ・・・日本軍の陣地があったかもしれない場所ではなかろうか?
あらら・・・平らになっちゃっている。
もっと早い時期に戦跡調査をしておくべきだった・・・

134_convert_20120606183032.jpg

暫く歩くと、今晩泊めてもらう“オマリオさん”の家に辿り着く。
多分、我々の車が脱輪したという話が届いていたのだろう、奥さんが家の外に立って我々を待っていた。
いやぁ~7年ぶりの再開である!(大喜)

135_convert_20120606195001.jpg(オマリオさんの家)

コーヒーをいただきながら、近況の「報告会」・・・・
オマリオさんのご主人は病気治療のため別のところにいるらしい。
話によると、1週間に3回、血を綺麗にするというのだから、どうも人工透析をしているらしい。
そうなると、この山奥にいては無理なので、治療のため家を離れているのだそうだ。
息子の“ジェイソン君”は、大学を中退して結婚をし、子供が2人もいるという!
うそぉ~!(大笑)
7年前は・・・彼は21歳で、まだ大学生・・・・
彼が17才の時、初めて会ったのだが、それからずっと山を登る拙者の先導役を務めてくれていた。
その彼がねぇ~結婚して子供までいるのぉ~(驚)
こっちは当時と全く変わらず・・・独身のままだっていうのに・・・
無理もないかぁ~7年も経っちゃっているから・・・・
ここで“オマリオ夫人”から「陳情」・・・・(笑)
この息子が無職なので、拙者の会社で雇ってくれないかというのである。
あらら・・・
拙者は、すでに会社を廃業していることを伝えたら、何とか日本で働けるよう協力してはくれまいかという。
日本でも就職難だからなぁ~
フィリピン人を雇う会社があるだろうか?
“ステラさん”が無下に断るわけにもいかないでしょうから、検討するということにしてはどうかと助け舟を出してくれた。
まぁ~そのように言うほかはないよなぁ~
“ジェイソン君”は、家を出て、ここから遠く離れた「バギオ」に妻と子供2人と住んでいるという。
「え?無職で?・・・どうやって生活してるの?」と尋ねたら・・・
お母さんである“オマリオ夫人”が仕送りをしているという。
うそぉ~!(大笑)
拙者も親の脛を齧って生きてきた男ですから(大笑)、あまり他人のことをとやかくは言えないが・・・(大笑)
結婚して、子供を2人ももうけて・・・それで親の脛を齧っているの?
“オマリオ夫人”が呆れ顔で、困っちゃうのよねぇ~のジェスチャー・・・
どこの国でも親は大変である。
息子の就職の陳情を拙者にしたくなる気持ちもわからないでもないなぁ~

“オマリオ夫人”は、この村の小学校の先生である。
もう一人、同じ学校の同僚の女性教師が同席していたのだが・・・
この女性教師から恐るべき話を聞かされた・・・
「サンタフェ」の町に日本人が一人住みついているそうなのだが、その日本人の男が、この周辺に住んでいる20代から30代の女性を日本へ連れて行くために募集しているというのである。
この男・・・日本で木を植える仕事があるので、それで女性達を集めていると言っているらしい。
で・・・この先生・・・
そういう仕事が本当に日本にはあるのかと言うのである。
唖然・・・である。
そんなバカな話を聞いたことはない。
だいたい、日本で木を植えるのに、わざわざフィリピンから人を雇うわけがない。
しかも、20代から30代の女性だけに限るって、どういうこと?
男を雇うって言うならわかるけど・・・女性だけっていうのは怪しいでしょ。
日本で木を植えるために外国人を雇うという話は拙者は聞いたことはない・・・
若い女性だけに限っているのは、女性を売り飛ばすためかもしれないから、特に学校の先生から勧められたなどということになったら、とんでもないことになる・・・と説明し・・・
この話は絶対怪しいから、この話に乗ってはいけないと忠告する。
それにしても、とんでもねぇことをやろうとしている日本人が住みついているとは驚きである。
いつか、どんな奴か見てやろう・・・
場合によっては、締め上げねばなるまい!(怒)

“オマリオ夫人”から、もう一つの驚くべき話が・・・
(よく驚かせてくれるもんだ~笑)
昨日、ここから北のほうの山の中で政府軍と共産ゲリラの戦闘があったという。
で・・・政府軍兵士が11名戦死し、民間人1名が巻き添えをくって死亡したという。
ゲゲッ!(大笑)
一応、政府軍には日本人が一人、明日、山の中へ入ることを伝えてあるとの事。
まぁ~ゲリラと間違われて撃たれては堪りませんから・・・(大笑)
で・・・山に入る案内人は一人でいいかと言う。
山のことをよく知っている老人だそうである。
拙者も、祖父の陣地跡には何度も行っているので、一人でも行けないことはないのだが、いつも念のため「案内人」を同行させることにしている。
万が一怪我をした場合や、山の中でバッタリ村人に会った時の対応のためである。
トラブルは出来るだけ避けねばならない。
いいですよ~と返事をしたのだが・・・・
「その人、英語が話せないんだけどいいですか?」と言う。
あ・の・ね・・・・(大笑)
英語が通じないのでは、どうやって意志の疎通を図るの?
驚かせてくれたついでに笑わせてもくれる。(大笑)
ということで、英語の話せる人を付けてもらい、3人で山に入ることにした。
「2人になるけど、いいですか?」と“オマリオ夫人”・・・
案内人への謝礼金は拙者が払うので、2人では高くなると気にしてのことだろう。
全然問題はない・・・拙者は経済観念がないのである!(大笑)
一応、明日一緒に山に入る村人に来てもらい挨拶をする。

今回の訪問には、祖父の陣地跡に行くことと、もう一つ、慰霊碑の碑文の修復を目的としている。
1時間ほどおしゃべりをして、「案内人」2人を連れて慰霊碑に行く事にする。

151_convert_20120606214803.jpg

この慰霊碑は「サル陣地」という日本軍の陣地跡に建てられている・・・と言われている。
が・・・どうしても、それがわからない。
ここが「サル陣地」とは拙者には思えないのである。
どこかの誰かが「ここはサル陣地である!」と言ったので、そういうことになったのだろうが・・・
“声のデカイ奴が勝つ”というのは世の常である。
が・・・反面、そういう“声のデカイ奴”の言うことが間違っているというのも、よくある話である。(笑)
当時、陣地構築を担当した工兵隊長が陣地名を付けていたようなのだが・・・
その陣地配置の略図には「サル陣地」というのは載っていない。
これほど大きな丘に陣地名を付けないわけがない。
陣地配置図は、おおまかな地図なので、なんともわかりづらい・・・
強いて言えば、祖父が戦闘末期に陣を張った「スズメ陣地」か、その北にあった「シシ陣地」ではないかという気がするのだが・・・
何度来ても、わからない。
どうも確信がもてない・・・・
生還者に尋ねても、ハッキリしないのである。
「サル陣地ではないことだけは確かだが、何と言う名前かは知らない」と言う人もいるし、「あれはスズメ陣地だと思うんだけどなぁ~」と言う人もいる。
“声のデカイ奴”に遠慮してなのか、どうもハッキリとは答えてはくれないのである。
正直言って、戦後、遺骨収集団や巡拝慰霊団の一員として現地に来ても、自分の陣地を探すのにも一苦労するくらい、記憶があいまいになっているのだそうである。
だから、自信をもって答えられないと言う。
“声のデカイ奴”とも喧嘩したくないから・・・ということもあるのだろう。
が・・・そういう“証言者”が次々と他界してしまい・・・今では尋ねる相手がいない状態・・・
間違った話が後世まで伝えられたのでは、英霊は浮かばれまいと思うが・・・仕方がないことなのか・・・

154_convert_20120606220545.jpg(補修前)

156_convert_20120606220709.jpg(補修後)

この慰霊碑の建立に関わった人達は既に他界してしまっていて、建立した団体は消滅してしまっている。
当時の団体の長は、我が戦車第2師団の戦友会の初代会長なので、戦車第2師団戦友会の事務局長である拙者が無断で(笑)、修復作業をしても構わないだろうと・・・勝手に碑文の修復をすることにした。
7年前に来た時にかなり文字が消えかかっていたので気になって仕方がなかったのである。
修復と言っても、これといった正しい方法は知らないので・・・
ある意味、無責任かもしれないが・・・油性マジックで彫られた文字に“墨を入れる”方法とした。
碑文は、日本語、英語、フィリピン語の三ヶ国語で刻まれている。
特に文字が消えかかっていたのが、日本語とフィリピン語・・・
というわけで、日本語と、フィリピン語の碑文の修復を行う。
同行してきた「案内人」は、拙者が何をし始めたのかと唖然としていたが・・・(笑)
フィリピン語は、彼らに碑文を読み上げさせながら拙者が“墨を入れる”・・・
白い石版を彫った碑文なので、“墨が入って”いないと、一見、真っ白なだけで、指でなぞらなければわからない。
LなのかIなのか、TなのかIなのか・・・拙者には良くわからないのである。
修復中・・・
「どうだ!これなら読み易いだろう?」と言ったら、彼らも笑いながら頷く。
「こうしないと、良く見えないから、君達はこの文章を読まないだろう?」と言うとウンウンと頷く。(笑)
持参したマジック6本は、あっというまに芯の部分が磨り減ってしまい使い物にならなくなった。
我・・・無事、全ての文字の修復が完了し・・・よし!
「これをよく読んで、勉強しなさい!」と拙者は偉そうなことを言い・・・(大笑)
今回の目的の一つは完了した。
あ~気持ちがいい!

時刻はもう午後6時・・・・
そのうち・・・・ドド~ン、ドド~ンと遠くで砲撃のような音がする。
ん?まさか砲撃があるわけでもあるまいし・・・
いくら拙者の頭の中が昭和20年だとしても・・・そんなことはあるまい?
“空耳”?・・・幻聴か?
それとも、どこかで爆破工事でもしているのか?
と・・・どんよりと黒い雲が空を覆い出した・・・
ありゃ、もしかしたら、あれは雷鳴か?

急いで丘を降り、オマリオさんの家に戻る。
と・・・まもなく・・・・雷雨!
遠くの山に稲妻が光るのが見える。
いやぁ~危機一髪だったぁ~(大笑)

この時期にこういう雷雨というのも珍しいような気がする。
過去に何度もこの時期にここに来ているが、雷雨に遭ったのは初めてである。
今は乾季なのに今年は何故か雨の日が多いと言う。
異常気象なのだろうか?
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旅行 | 16:18:40 | Comments(0)
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