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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ルソン島の旅(5)
「プンカン」の慰霊碑をお参りして、更に北上・・・・
クネクネと曲がりくねった山道を登っていくと「バレテ峠」に辿り着く。
ここは第10師団(姫路で編成)を主力とする部隊が陣を敷いていた。
この「国道5号線」を北上する在留日本人の避難民や日本兵がここを通過する・・・・
その後ろから米軍が迫ってくるので、これらをこの峠で食い止めようというのが、ここに陣を敷いた理由である。
で・・・この「国道5号線」を西の方から横切って寸断しようとした米軍を「サラクサク峠」で食い止めたのが祖父の部隊と応援に駆けつけた戦車第2師団を主体とする各種部隊である。
ここ「バレテ峠」も激戦地で、慰霊碑もあるが、拙者は余ほど時間に余裕がない限り立ち寄らない。
他の慰霊団は必ずといっていいほどここには立ち寄るので、わざわざ拙者が行かなくてもいいだろう・・・という罰当たりな考えなのである。(笑)
が・・・今回は久しぶりに慰霊碑に立ち寄りお参りをする。
たまにはお参りしないとね・・・英霊に怒られちゃうから・・・(笑)

044_convert_20120604213652.jpg(バレテ峠の慰霊碑)

055_convert_20120604213855.jpg
(慰霊碑のある丘から見たバレテ峠の頂上)

064_convert_20120604214537.jpg

バレテ峠の頂上の山の側面が大きく削られている。
以前、ここを通ったときは、それほど気にもならなかったが・・・・
今回はさすがに唖然・・・である。
戦跡が壊れていく・・・消えていく・・・
ただの道路の拡張なのか、それともここを平らにして何かを建設しようとしているのか・・・
う~ん・・・わからん・・・

066_convert_20120604214929.jpg

「ようこそ!ヌエバエシア州のサンタフェへ!」の看板・・・(笑)
ここに写っている人は、サンタフェの“町長”(?)、“市長”(?)・・・・
とにかく、サンタフェの首長さんのようである。
へぇ~・・・である。(笑)

バレテ峠を下り、「サンタフェ」の町へ向かう。
途中、日本軍の大砲を置いてある場所がある。

069_convert_20120604215442.jpg

これは日本軍の榴弾砲・・・
刻印が薄れてしまっているので良く分からない・・・
ゴムタイヤは戦後に取り付けられたもので、当時のものではないようである。
我が戦車第2師団の機動砲兵第2連隊のものだという話を聞いたこともあるが、果たして本当かどうかはわからない。

「サンタフェ」の町のなかを通り抜け、少し町外れにあるレストランで食事することにする。

079_convert_20120604215915.jpg

拙者が初めてこの町に来た10年以上も前には、こんな洒落たレストランなどはなかった。(笑)
いやはや、どんどん変わっていく・・・・
このお店・・・トイレが綺麗なのである!(大笑)
で・・・“Wi-Fi”とかっていうのも使えるのだそうだ・・・何のことやらよく知らないけど・・・(大笑)

078_convert_20120604220334.jpg

時刻は午後1時・・・
ちょっと遅い時間だったせいか、“おかず”が殆ど残っていなかったので、今日の昼食は・・・こんなものである。(笑)

本来は、ここから山の中へ入って「サラクサク峠」へ向かうのだが・・・
“ステラさん”が、更に北上して「南ボネ」の慰霊碑のある場所まで行こうと言う。
我々は「南ボネ」と呼んでいるが、英語読みだと「ボーン・サウス」と言うらしい。
“ステラさん”の目的は、どうやらこの慰霊碑を管理している住民に何か言伝があるので、行きたいということらしいのである。
はい、はい、どうぞ、どうぞ・・・(笑)
どうせ気楽な旅である・・・
“ついで”がいくらあっても構いませんよぉ~(大笑)

083_convert_20120605102102.jpg(南ボネの慰霊碑)

098_convert_20120605102417.jpg

ここは「戦車撃滅隊」の激戦地・・・・
山下奉文大将率いる第14方面軍の教育隊が主として戦った場所である。
第14方面軍の“虎の子”である見習士官の青年達が“蒲団爆弾”という座布団のような形をした爆弾を抱えて、米軍の戦車に体当たり攻撃をかけた場所である。
ここには戦車第6連隊の生き残りの戦車も配属されていたようである。

095_convert_20120605102936.jpg

見習士官の青年達は、この道路の両脇に“タコツボ”を掘って隠れ、米軍の戦車が来ると飛び出し、敵戦車のキャタピラに身を投げて自爆したのである。
ここに配置された青年達の数は約500名・・・・
敵の戦車を数両は破壊したようだが、飛び出した瞬間、敵の機関銃になぎ倒されて体当たり攻撃は殆ど失敗したようである。
それにしても、凄まじい攻撃である。
中東での自爆テロの先駆けのようなものである。
拙者には無理だよなぁ~
そういう根性はない・・・・
腰が抜けて、タコツボから飛び出せないと思う・・・

この攻撃を見ていたのが、第14方面軍の直轄部隊だった“尾田部隊”の“ナカムラさん”。

093_convert_20120605103613.jpg

“ナカムラさん”は、この民家の裏にある丘に陣を張っていた。
敵の戦車がやって来たとき・・・・
まだまだ距離があるというのに、早々と次々と飛び出して敵の機関銃になぎ倒される隊員たちを見たという。
「まだ早い!」と叫んでも彼らにその声が届くわけもない。
バタバタと斃れていく姿を見ているしかなかったという。
迫り来る戦車への恐怖感で距離を見誤ったのか?
無理もないと思う・・・・

何としてでも、ここで米軍の進撃を抑え、北上する避難民や戦友を逃れさせる時間稼ぎをしなくてはならなかったのである。
が・・・それにしても・・・ここは直線道路なんだよねぇ~
敵から丸見えだと思うのだが、どうしてここに配置したのか・・・

“ナカムラさん”達も丘の上から戦車に随伴する米兵を攻撃したが、まもなく陣地の場所がバレてしまい、攻撃を受ける。
で・・・直ぐ隣にいた戦友が敵弾を浴びて転がり落ちた・・・・
あと数センチで“ナカムラさん”も同じ目に遭うところだったそうである。
その後、“ナカムラさん”は撤退のときの部隊の“殿(しんがり)”を務める。
装備は全て米軍から奪った兵器・・・・
だから、強かったという。
日本兵は米軍の装備を持って戦ったら最強だったという。

拙者が慰霊碑をお参りしている間に“ステラさん”は民家の方と打ち合わせを済ませたので、また「サンタフェ」の町へ戻ることにする。


より大きな地図で 戦車撃滅隊終焉の地 を表示
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旅行 | 13:19:50 | Comments(2)
コメント
待ってましたよぉーー。やっと”5”が拝読出来ました。
お忙しいでしょう中ありがたいです。
蒲団爆弾いやぁー想像できません。
戦車の音、地響き、すごいんでしょうね。
タコつぼの中より聞いていたら、どんなに根性があると言われている人でも恐ろしかった事でしょうね。
重衛兵さんのグログを知ってから、私は私達は決して忘れてはならないと改めて思い、慰霊の気持は常に持ち続けたいと思いましたよ。
兵隊さんありがとう!!
2012-06-05 火 15:21:34 | URL | お染 [編集]
Re: タイトルなし
大変お待たせしてすみませんでした!
いつも訪問してくれてありがとうございます。
これから、ボチボチと書き進めますね。
(かなり怠けてしまったので、追いつくまでが大変ですが・・・)(笑)
2012-06-06 水 17:24:06 | URL | 野牛重兵衛 [編集]
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