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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ルソン島の旅(4)
更にもう少し北上すると、「プンカン」という場所に着く。
ここに、日本軍の慰霊碑があるのだが・・・
あっ・・・通り過ぎちゃった!(笑)
拙者は全く気付かず、“ステラさん”が気付いて、車をUターンさせる。

028_convert_20120527215520.jpg

道路脇の民家の敷地内に慰霊碑がある。
2年前にご遺族を北部ルソンに案内したときにも立ち寄ったのだが・・・・
この民家の前の道路・・・・
こんなに広かったかなぁ~(笑)
もっと周囲は木に囲まれていて、鬱蒼としていたような気がしていたのだが・・・・
人間の(というより、拙者の?)記憶なんて当てにならないものである。(汗)
これでは、うっかり通り過ぎても気がつかないはずである。
たった2年前に訪れた場所を見落としてしまうんだから情けない。

ここ「プンカン」は激戦地の一つである。
ここには当初、拙者の祖父の部隊が配置されることになっていた。
が・・・現地を視察して、祖父が(多分、部下による進言だと思うが)、この地は防御に適していないと上層部に具申した。
参謀にも現地に来てもらい、実際に現地を見てもらいながら説明したところ、この具申が受け入れられて、祖父の部隊はこの地には配置されず、別の場所へ移動することになったのである。
この「プンカン」・・・・
道路の両脇に丘が聳え、ここから道路上の米軍を狙い撃ちにできるし、一見、防御しやすいように見えるのだが・・・
この丘が南北に少し細長く、南に張り出しすぎているため、逆に米軍がその外側から包囲しやすいため、防御どころではなく、逆に丘の裏側から浸透されて守りきれないというのが祖父の部隊の見解だったようである。
祖父の部下達は中国大陸で戦っていた実戦経験者だし・・・・
祖父は一兵卒から連隊長になった人なので、師団でも一目置いていたようである。
だから、進言が受け入れられたのだと思うが・・・

なぜか師団司令部は、祖父が去った後に、この場所に別の部隊を配置したのである。
どうして、そういうことをしちゃったのかなぁ~!(怒)
祖父達の予想通り、ここ「プンカン」に配備された部隊は、周囲から米軍に浸透され、壊滅した。
どうして祖父達の具申どおりに、この場所を防御陣地に不適だと諦めなかったのか・・・
その通りにしていれば、彼らはここで死なずに済んだのである。
うまくすれば、その後も生き抜いて、戦後、無事に日本へ帰れた人もいたかもしれない。
少なくとも、そのチャンスはあったのではないだろうか?

一説によれば、他の参謀が地図だけを見て、ここに決めたと言う。
使用したのは5万分の1の地図らしいが・・・
拙者も、現在発行されている5万分の1の地図を持っているが、ここ「プンカン」には何も書かれていない。
当時の作戦用の地図がどういうものだったかのかは知らないが、どうもここ「プンカン」に“ポチッ”と「丘らしきもの」があったので、ここがいいだろうと決めたのだとか・・・
この「プンカン」から更に北上すると「バレテ峠」がある。
その「バレテ峠」が主抵抗陣地となるので、その峠に向かう手前に前進陣地を設けなくてはということで、ここを選んだらしい。
前進陣地としたここは、その後、主抵抗陣地の一部として組み込まれたが、お粗末な場所のため、あっけなく守備部隊は壊滅した。
後方陣地を構築するための時間稼ぎも、ここに守備隊を置いた理由の一つだろうが・・・
その犠牲は大きい。

拙者は、それがなんとも悔しいのである。
祖父達が、防御に不適な場所だと言っていたのに・・・・
どうしてそこに兵を置いてしまったのか・・・
第10師団の更に上層部である第14方面軍の指示だと、当時の参謀が拙者に話してくれたことがある。
現地にも来ず、現地を見ず、お粗末な地図だけで決めてしまったのである。
彼らのお粗末な“作戦”で死んだ兵達を弔ってやらねば・・・
というわけで、拙者はここを通るたびに必ず慰霊碑にお参りをすることにしているのである。

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ここには2つの慰霊碑が建っている。
一つは『内藤大隊並金子中隊追悼之碑』(左の写真の碑)である。
この慰霊碑を建てた人達は、自分達では分かっているからいいだろうが・・・・
後世には何が何だか分からないだろう。
「内藤大隊」とか「金子中隊」って・・・・何?
自己満足の慰霊碑であるとしか拙者には思えない。

ここに配置されたのは第105師団の臨時歩兵第2大隊を基幹とする部隊である。
大隊長の井上恵少佐が「プンカン守備隊」の守備隊長。
そこに第10師団の歩兵第10連隊第2大隊(内藤大隊)の2個中隊を除いた部隊が配属となっている。
というわけで・・・内藤大隊とは、歩兵第10連隊の第2大隊を指す。
大隊長は内藤正治大尉。
「金子中隊」とは、独立歩兵第356大隊の第4中隊(中隊長:金子晃中尉)のことだと思う。
先日、山口でお会いした“コンドウさん”の“瀧上部隊”である。
第4中隊は本隊から分かれて、「津田支隊」に配属となり、津田支隊は、このプンカン守備隊に配属になっている。
「プンカン守備隊」には、このほかにも第10師団から歩兵第39連隊の1個中隊、歩兵第63連隊から1個中隊、野砲兵第10連隊第1大隊(赤座砲兵隊)など、いくつもの部隊が配属されていた。
各種合わせて9個中隊だったという。
日本軍は、よくこのような編成を戦地で行う。
各部隊から少しずつ抽出して編成するのであるが・・・
これでは“烏合の衆”になりはしないだろうか?
同じ日本軍とはいえ、顔も名前も知らない同士、上下の意思疎通に支障はなかったのだろうか?

戦闘は昭和20年2月9日から開始され、3月5日までに米軍(米第25師団)が完全に制圧、掃蕩を完了。
米軍の記録では日本軍守備隊の戦死者は1250名・・・
米軍は戦死40名、負傷165名・・・・
内藤大隊に限って言うと、内藤大隊長以下戦死者は約200名、負傷者は650名である。
こういうことを慰霊碑には刻んでもらいたいが、残念ながら・・・ない・・・

もう一つの慰霊碑は『歩兵第10連隊比島戦没者追悼之碑』(右の写真)である。
ここには歩兵第10連隊の編成と、「歩兵第10連隊の戦没者は2942名で、実に92%に達している」ということが刻まれているが、全ての戦没者がここで戦死したのではない。
歩兵第10連隊の主力は、この先の「バレテ峠」で戦死しているのである。
誤解を招くような慰霊碑である・・・・

ちなみに、この慰霊碑・・・十字架の形をしているが・・・
これは、フィリピン人がキリスト教徒なので、十字架の形の慰霊碑にすれば、現地住民に悪戯されたり壊されたりしないだろうということで十字架の形にしたという話を聞いたことがある。

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慰霊碑のある民家の後ろの丘にプンカン守備隊長である井上少佐率いる「井上大隊」が布陣していた。

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道路を挟んで慰霊碑の反対側の丘に「内藤大隊」が布陣していた。
ここで道路を北上する米軍を挟み撃ちにしようとしたのだろうが・・・・
米軍は、ブルドーザーで道を作り、この丘の向こう側に進出して来たのである。
つまり、“もっと大きなハサミ”で逆に挟み撃ちに遭った形となる。
というわけで・・・この丘の向こう側斜面が戦闘地域となる。

大隊本部は3枚の写真の真ん中の写真あたりにあったと思う。
そこへ、別の地域に派遣されていた歩兵第10連隊第2大隊の第7中隊が応援に駆けつけた。
中隊長は佐野満寿三中尉。
斬り込み隊を編成して攻撃に向かったが、奇襲に失敗して負傷をする。
第7中隊は殆ど全滅し、負傷した中隊長の佐野さんを含め4名しか生き残れなかった。
佐野中隊長は終戦後無事に日本に帰還・・・・
今から6年ほど前に放送されたNHKの証言番組に出演した。
が・・・この番組・・・趣旨が歪められていた・・・
佐野さんは放送を見た後からパタリと食事を摂らなくなり、再放送の時には「そんな番組は見るな!」と家族に怒鳴ったという。
自分の証言を、切り貼りされて、自分の思いとは別の内容に仕立てられたためだろう。
そして佐野さんは番組放送から間もなくしてお亡くなりになられた・・・・
拙者は、これは失意の中の衰弱死だと思っている。
拙者は、この番組の放送前に、ご家族ともNHKのプロデューサーとも連絡を取り合っていたが、放送を見たときに、その偏った内容に驚いた。
最初から、番組の内容を決めておいて、その内容に合うように“証言”を仕向けたとしか思えない。
番組の取材を受けた佐野さんが、この内容を受け入れるはずがない・・・
佐野さんがお亡くなりになった直後、拙者はNHKの、この若い女性プロデューサーに抗議をした。
が・・・彼女は「番組は非常に好評だった」と一点張り・・・
最終的には、「番組制作会議で、当たり前の内容では企画が通らないので、わざとショッキングな内容に仕立て上げた」と認めたが・・・・
この戦場で生き残り、この世に別れを告げる年齢に達したときに、その佐野さんを失意のどん底に突き落としたNHKの罪は重いと思う。
彼女は、この番組のおかげかどうか知らないが、地方局から本社へ“栄転”したという。
拙者は、今でもこの女性プロデューサーのことは許せない!(怒)
どんな理由があろうとも・・・・
苦労をして、悲惨な体験をして生き残った方には、最期を迎えるときには気持ちよく旅立ってもらいたいのだ。
戦死すればよかった、生き残るべきではなかったなどとは思わせたくないのである。
それをよりによって、食事が喉を通らなくなる程の失意のどん底に突き落とすとは何事か!(怒)
この丘を見て・・・拙者は佐野中隊長を思い出す・・・
この世を去った後・・・佐野さんのことだから部下達の眠るこの地を訪れたことだろう・・・・
「最後の最後に、あんな嫌な思いをさせられるなら、みんなと一緒に戦死してれば良かったよ」と部下たちに話したのだろうか?
あ~・・・ため息しか出ない・・・何と言えばいいのか・・・
「畜生!」の一言しか頭に浮かばぬ・・・・

ドコモのタブレットで現在位置を確認したが・・・
このタブレットの地図は、現在地が分かるから便利なんだけど、現在地にマークを付けるとか、保存するとかって出来ないみたいなんだよねぇ~
どうも使い方がイマイチわからん・・・(涙)
結局、自分の頭の中に記憶するしかないわけで・・・

というわけで・・・多分・・・地形的に言うと・・・
このあたりに慰霊碑があるんじゃあるまいか?(大笑)


より大きな地図で プンカン守備隊関係慰霊碑 を表示
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旅行 | 12:39:04 | Comments(3)
コメント
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2012-05-29 火 11:23:35 | | [編集]
ありがとうございます。とても勉強になります。おじい様の見解の正しさ。
それなのに、、どうしてなのかなぁ~。こんな事他にも多々あったのだろうと思われてきました。バカな参謀が違えば流れも違ってきていたでしょう。残念で悔しいです。
NHKの件誠、よくぞ抗議をしてくださった。(礼
NHKに於きましては腹が立ってたまらない過ぎ。何時も常に怒っていて私の健康を害す国営放送である。潰れてほしい。今回のブログで又真実を知り、怒り心頭まさしく“畜生”であります。
2012-05-29 火 11:39:05 | URL | お染 [編集]
Re: タイトルなし
このNHKの番組はシリーズ物で、各地方局が制作していましたが・・・
彼女が製作したものは最悪でしたね。
それだけでNHK全体を批判するわけにはいかないでしょうが・・・(笑)
他のNHKのディレクターにこの話をしたら、「うちの会社にそんなとんでもないことをする人間がいるのか」と呆れていましたから・・・・
しかし、彼女を評価してしまうという体質には問題があると思います。
今もって腹の虫が収まらないのですよ。
2012-06-04 月 21:18:39 | URL | 野牛重兵衛 [編集]
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