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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ルソン島の旅(3)
「旧・農学校」前の国道を更に北上すると「サンホセ」に至る。
今晩は、「マリコ村」の“オマリオさん”の家に泊めてもらうことになっている。
で・・・“ステラさん”が・・・「食糧とかは、どうすることになっているのですか?」と言う。
「さぁ~、どうなってるんだろう?」
「え~?何も決めてないんですか?」
「はぁ・・・ただ、泊めてくれって頼んであるだけ・・・」
“ステラさん”に呆れられる。(大笑)
食糧を何も持たずに・・・というのも問題だろうということになり・・・(大笑)
ここ「サンホセ」のスーパーマーケットで買い物をすることにする。

025_convert_20120522122023.jpg 026_convert_20120522122406.jpg
(サンホセの町の中)

ここ「サンホセ」は要衝の地・・・・
戦時中には、北部ルソンへの中継地点でもあり、ここには多くの軍需物資が集められ、道の両側に積み上げられていたという。
が・・・・緒戦で早くも米軍の空爆を受け、集積した物資が燃え上がる。
バカである・・・
こういうところが、エリートと言われる連中、上級司令部の考えていることが解らない点でもある。
ただ集めておけばいいというものではあるまいに・・・
秘匿しておかねば空爆で灰燼に帰すのは、あたりまえではなかろうか?
日本軍は貧乏であるという自覚がない・・・あ~なんともったいないことか・・・
細かいところが雑である。
これは官僚主義のなせる業ということか・・・

この町は、米軍の空爆・砲撃で焼け野原となった・・・

さて・・・スーパーでの買い物・・・
何を買えばいいかが全然解らないので、全て“ステラさん”に任せる。
支払いは拙者なので、やたら気を遣う。
「これ、いいですか?」・・・
経済観念のない拙者である・・・なんでもいいんですけどぉ~(笑)
いくら買ったって、何万円も・・・というわけではあるまい?
必要だと思うものはドンドン買おうよ!(大笑)
レジに並んでいたら・・・
“ステラさん”・・・日本のキッコーマンの醤油のペットボトルを別に持っている。
「あ、それも僕が支払ってあげるよ」
「いえ、これは余ったら自宅に持ち帰って自分で使うので、自分で出します」と言う。
大した金額じゃないから拙者が出すといっても遠慮する。
公私に厳しい人である。
他のフィリピン人とちょっと違う・・・
だから好感が持てるし・・・長い付き合いが続いているのだと思う。

027_convert_20120522125050.jpg(スーパーマーケット)

ここ「サンホセ」には鉄道の駅があった。
だから多くの物資を送り込めたわけだが・・・・
終戦後は、この駅から多くの日本兵が捕虜収容所へ送られた。
その駅舎は、「ムニオス」とは違って、今も残っているはずである。
10年近く前に訪れた時には・・・倉庫みたいになっていた。
“ステラさん”も知っているが・・・二人して「どのあたりだっけ?」・・・・(笑)
「あの路地を入ったところだっけ?」という有様で、記憶が蘇らない。
歳は取りたくねぇもんだぁ~と二人で大笑い。
今回は、駅舎を見るのが目的じゃないから・・・通過!(笑)

「サンホセ」の町を抜け、更に北上!
ここから山のほうへ向かう形となる・・・・

ドコモのタブレットで地図を見ながら移動・・・
国道がちょうど直角に曲がるところがある。
そこが「キタキタ」という場所・・・
ん?聞いたことがある地名である。
たしか・・・ここに「サンホセ」から撤収した部隊や持ち出した軍需品が一時滞留していた場所だったと思う。
小さな集落である。

ここから更に、もう少し北上すると「タヤボ」という集落・・・・
ここは「キタキタ」より、もう少し大きな集落である。
本隊とは別に「ゴンザレス」に派遣されていた戦車第6連隊第2中隊は現地で壊滅したが、戦車3両が、この地点まで脱出している。
指揮をとっていたのは戦車第6連隊第2中隊付きの吉村准尉。
この戦車は、その後、更に北上し、「サンタフェ」に向かい、『戦車撃滅隊』に配属となり全滅した。
吉村准尉(のち少尉)は6月2日に「サンタフェ」方面で戦死している。

「ムニオス」で戦っていた本隊からは脱出した戦車はなかったようである。
当時、「ムニオス」では、壕を掘って戦車を半分埋め、砲塔だけを地上に出して戦うという戦法をとっていた。
この戦法で、米軍のM4シャーマン戦車を何両か撃破しているという。
が・・米軍の砲撃は熾烈を極める。
20分間で4,000発もの砲弾が飛んで来たという記録もある。
(多少、誇張されているかもしれないが・・・・かなりの砲撃だったことは確かだろう)
連隊及び戦車第2師団司令部は後退を具申。
ところが山下将軍の第14方面軍司令部の幕僚達がウンといわない。
「死守せよ」の繰り返し。
戦車の用法を知らないバカが命令を出すのでは勝てる戦も勝てまい。
ようやく2日後に後退の許可が出たが、時既に遅し・・・である。
脱出しようとしても、長時間、壕の中に置いていたのでなかなかエンジンがかからない。
昼間では狙い撃ちされるので、移動は夜間にしか出来ない。
静かに移動したくても、低速始動ではエンジンがかからないから、思いっきりエンジンを吹かして始動するしかない。
グワァ~ン、グワァ~ン・・・ドドッ、ドドッ、ドドドドドッ~!・・・っていう感じだったのかなぁ~(笑)
と・・・その音を聴きつけて米軍が照明弾を打ち上げ、猛烈な砲撃が始まる。
エンジンをかけた途端に隠れていた場所がバレて、移動も出来ぬまま炎上する戦車が続出・・・
うまく始動できて移動が開始できても、この当時、周囲は竹薮と湿地に囲まれていたという。
今では竹薮は見当たらないが、湿地帯は田んぼとなって面影を残している。
湿地帯は日本の戦車は走れない。(笑)
1本道の道路を一列になって走るのでは、先頭車両がエンストすれば、後続車も停止・・・
そこを狙い撃ちされ、壊滅・・・である。
生還者は、あと2日早ければ・・・あの時、素直に後退を認めてくれていたらとの思いが残ると言う。
脱出ルートの研究不足も否めないと言う・・・・
「退くこと知らない日本軍」である。
勇猛果敢も結構ですが・・・(笑)
いざ、猛烈な砲撃を受け、敵戦車の攻撃を受け、一旦退いて態勢を立て直したくても、脱出ルートを研究していないから、どうしようもない。
真面目に1本道を下がることしか知らないから、これでは撃って下さいとお願いするようなものである。
ゲームセンターの射的より始末が悪い・・・

あ~あ~もったいないなぁ~
ここまで他の戦車も後退して来ていたらなぁ~・・・と思う・・・・
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旅行 | 11:31:20 | Comments(0)
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