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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ルソン島の旅(2)
朝食をホテルのレストランでとる。
ん?以前泊まった時と違うぞ・・・
「う~ん・・・ずいぶんサービスが落ちたねぇ~」
「そうですか?」とステラさん・・・
「うん、以前は、ここにキュウリのスライスが3枚乗ってたけど、今回は乗ってない!(笑)」
「へんなところを良く覚えてますねぇ~」と笑われた。(大笑)

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午前8時、ホテルを出発・・・・
北上する!
さぁ!ここで我が新兵器の登場である!
ドコモのタブレット!
さぁ~どこまで地図の表示がされるか・・・・
今までは、こういう便利なものを持っていなかったので、どこをどう走っているのか、何度来ても、さっぱりわからなかったが・・・
いやぁ~これは便利!(喜)
地図に現在位置が表示されている!
おお、おお、車の移動と合わせて、現在位置の印も動いている!(笑)
が・・・これ・・・どうなっているんだろう?
「パケット」っていうのが、かかっているのかな?
「海外パケ放題」とかっていうのに設定しておいたと思うが・・・(笑)
使い方をよく知らないのに使っているのである・・・
日本に帰ってからトンデモナイ金額を請求されたらどうしようと、ちょっと不安になったが・・・
この便利さは止められない。(大笑)
えぇぃ!なるようになれ!・・・・である。(笑)

過去に何度も通ったことがある道だが、以前はよくわからず通過した町・・・・ムニオス・・・
ここは我が戦車第二師団の戦車第6連隊が大激戦を演じた場所。
で・・・戦車は壊滅・・・残存兵は歩兵に改編されて山奥で戦う羽目となった。

タブレットの地図を見ながら・・・「ここ!このあたりでストップ!」と車を止めさせる。
いやぁ~本当に便利だぁ~・・・買ってよかったぁ~(大笑)

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戦時中、ここには「ムニオス駅」という鉄道の駅があった・・・・
今は線路も取り外され、鉄道も駅も消滅している。
地元の方に尋ねたら、この道の向こう・・・奥の右側にガソリンスタンドがあるが、その裏が駅のあった場所らしい。
今は何も痕跡が残っていないとの事・・・
駅の位置が分かれば、なおさら分かりやすい!(喜)
地元の人とおしゃべりをして、車に戻ったら、ステラさんが笑って、こう言った・・・・
拙者はタバコを吸いながら、しゃべっていたのだが、火を消した後、吸殻を持参した携帯灰皿に入れたのである。
それを見て地元の方が、「他の人は平気で吸殻を道端に棄てるが、さすがは日本人だ。吸殻を棄てなかった。たいしたもんだ」と地元の人が感心して言っていると報告してくれた。
いやぁ~しっかりと観察されていたとは・・・(大汗)
吸殻を棄てなくて良かった・・・(笑)
一人の民間人の行動で国の印象が決まってしまうのである。
我々は心して海外旅行をせねばならないと、改めて思った。

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二股に分かれている道路の真ん中にある緑色の屋根の建物・・・・
この建物の裏に、当時は速射砲(対戦車砲)と野砲が展開していた。
左の道の左側にも速射砲が1門・・・その後ろには戦車第6連隊第3中隊第2小隊(高倉小隊)の戦車が展開。
この左の道のもっと奥には、戦車第6連隊第5中隊(指宿中隊)の戦車が展開していた。
指宿さんは、今も鹿児島でご健在・・・多分、95~96歳くらいになられているのではなかろうか?

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この道の右側には、戦車第6連隊第3中隊第3小隊(斎藤小隊)の戦車が「前進陣地」として展開。
小隊長の斎藤少尉は、昭和20年2月1日にこの地で戦死している。
ここには戦車第6連隊に配属された独立歩兵第356大隊(瀧上大隊)の機関銃中隊(伊藤中隊)の1個小隊が配置されていた。
瀧上大隊は、先日、山口県光市でお会いした“コンドウさん”の部隊である。
この時点では“コンドウさん”はこの部隊に配属されていなかったので、この景色はご覧になっていないだろう。
が・・・お写真を送ってあげようかな?(笑)
道の左側奥には、戦車第6連隊第5中隊第3小隊(柴田小隊)の戦車が展開していた。
小隊長の柴田少尉は、昭和20年2月3日に、この地で戦死。

さらに、もう少し車を進めて、再び止める。

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ガソリンスタンドの裏あたりに「予備部隊」として戦車第6連隊第4中隊(渡辺中隊)の戦車が待機していた。
中隊長の渡辺中尉は、昭和20年2月9日にこの地で戦死している。
ムニオスの町の奥のほうまで行きたかったが・・・
そっちに行くと拙者が向かっている方向とは別方向・・・・
この「国道5号線」沿いの陣地跡の確認だけでやめておくことにする。

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この「国道5号線」、ここから、この先の「旧・農学校」までの約4kmに独立歩兵第356大隊(瀧上大隊)が配置されていた。
たぶん・・・第1中隊と機関銃中隊だったと思うが・・・
僅かな兵力で4kmもの間を守るというのだから信じられない・・・・

戦車第6連隊は、第1中隊をレイテ島へ派遣、第2中隊は大室支隊に配属となってゴンザレスにいたので、この地で戦ったのは・・・・
連隊本部(九七式中戦車5両、九五式軽戦車2両)
第3中隊(九七式・改・中戦車11両、九五式軽戦車1両)
第4中隊(九七式・改・中戦車8両、九五式軽戦車1両)
第5中隊(九七式中戦車11両、九五式軽戦車1両)
整備中隊(九七式・改・中戦車4両、ほかトラック)
・・・であるとされている。
ここには昭和20年1月26日ごろに来て配置につくが、1月31日から米軍の攻撃を受け・・・・
早くも2月2日には連隊長の井田大佐は戦死、指揮班長の高橋中佐が連隊長代理として指揮を取った。
戦闘は2月6日まで続き、戦車は壊滅、2月7日に戦車車載の重機関銃と弾薬を持って撤退・・・
ドバックスへ向かい、歩兵に改編されたのである。

破壊された戦車・・・どこへ行っちゃったかなぁ~
戦後、くず鉄として売られちゃったんだろうなぁ~
あ~・・・・なんとも寂しい・・・・

021_convert_20120518231055.jpg(セントラル・ルソン州立大学)

戦時中は「農学校」と呼ばれた場所・・・
現在は「セントラル・ルソン州立大学」となっている。
ここにはフィリピンでも珍しい「歩道橋」がある。
「国道5号線」上で、歩道橋があるのは、ここだけである。(大笑)

022_convert_20120518231630.jpg(大学前の道・国道5号線)


より大きな地図で 戦車第6連隊壊滅の地・ムニオス を表示
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旅行 | 10:27:38 | Comments(2)
コメント
重兵衛さんの旅のブログを拝読して感じる事は知識多いと
楽しさも多い!です。
私も同じ所を通っても私は素通り。重兵衛さんはそこに想いと感動が
着いてくる。
さあ、もっと勉強せねば。再認識しましたよ。
2012-05-19 土 11:20:52 | URL | お染 [編集]
Re: タイトルなし
旅に出る前に、しっかり勉強してから旅に出るというやり方があります。
これの弊害は・・・勉強してからじゃないと旅に出ない・・・・(笑)
「よく勉強してからにします」と言って、なかなか外に出かけない・・・・(笑)
で・・・チャンスを失うわけです。

逆に、何の知識もないままに旅に出かけるというやり方もありますね。
弊害は・・・当然、何が何だかわからないまま旅が終わります。(大笑)
単なる「無謀」(?)
場合によっては、感動も何もなく、カネと時間を無駄遣いしただけ・・・
よくツアーバスの中で寝ている方がおられますが、周囲の景色も見ずに寝ていたのではもったいないと思います。(笑)
大事なことは、旅から帰ってきてからも、勉強をするということですね。
あとから知る・・・でも、いいのではないでしょうかね。

このムニオスも同じで・・・・
10年以上も前にここを初めて通った時には、全く何の知識もなかったので、ただの町・・・・
あとで勉強したら、色々わかり・・・
今回は、タブレットのおかげで更によくわかり・・・
同じ道、同じ町なのに、こんなに感じ方が変わるのかと、自分でも驚きます。
こうなると・・・旅をするのが楽しくて止められません!(大笑)
2012-05-22 火 11:30:57 | URL | 野牛重兵衛 [編集]
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