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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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児玉神社
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児玉神社

児玉神社は、大正12年に地元有志の発起により、日露戦争で満州軍総参謀長を務めた元陸軍大将児玉源太郎(1852~1906)を祭神として創建されました。
社殿は、神奈川県江ノ島に建設されていた神殿と附属建物を移し、旧邸址である現在地に建立したものです。
境内には「徳山七士碑」、後藤新平の筆による「徳足以懐遠」、児玉源太郎薨去の際の「御沙汰書」、後藤新平の「児玉神社参拝記念碑」、「日本帝国褒章之記」、句碑「山縣元帥の児玉大将の死を惜しまれたる歌」など児玉源太郎ゆかりの記念碑が多数建立されています。

周南市教育委員会

(説明板より)



児玉神社

1922年(大正11)12月15日、当時の徳山町の前田蕃穂外52名の有志が「県社児玉神社創立許可願」を内務大臣に提出した。
その願書には「・・・日清戦争に功あり。明治31年には台湾総督となり、政治を刷新して教化を進めて交通産業の発展に寄与した。その間陸軍大臣を、さらに内務・文部両大臣を兼務し、日露戦争においては満州軍総参謀長として、国家に尽くした忠節は多大で、等しく満天下の認めるところである。この地に児玉神社を建設し、国家守護の神として、その遺徳を後世に伝え、人心の感化に資し、もって国民道徳の標的にしたい。・・・」と記されている。
翌12年8月14日に許可され、「児玉将軍屋敷跡」に流造の本殿と拝殿が創建され、昭和8年5月16日に県社に列せられた。
拝殿の「児玉神社」の掲額は、児玉源太郎の長男秀雄の揮毫で、毎年3月10日に例祭が行われている。

児玉源太郎頌徳碑

児玉源太郎は、第4代の台湾総督を勤めたが、その下で民政局長として辣腕をふるったのが後藤新平である。
この碑には、児玉総督を大変慕っていた後藤新平の揮毫で「徳足以懐遠」と記されている。
礎石からの高さは凡そ4米あり、自然石で威風堂々としていて、周囲には玉垣を巡らしている。
この碑は、大正7年7月に源太郎の13回忌に地元の奉賛会によって、総督ゆかりの屋敷跡に建立されたものである。

平成17年3月
周南市教育委員会
寄贈 周南西ロータリークラブ

(説明板より)

309_convert_20120515133314.jpg(児玉源太郎頌徳碑)




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史跡 | 20:52:43 | Comments(0)
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