投稿日:2012-04-19 Thu

福原元(ふくはらもとたけ)幽閉之地
福原元は越後ともいわれ徳山藩8代藩主広鎮(ひろしげ)の子で後に宗藩の福原家を嗣ぎ、常に藩の要職をつとめた人物である。
幕末の動乱期の禁門の変(1864)には宗藩の家老で総大将をつとめた。
この変は長州藩の敗退に終り、元はその責任を問われて、益田右衛門介、国司(くにし)信濃とともに俗論派政府により切腹を命じられた。
この三人の家老は、徳山藩で預かることになり、益田は総持院に、国司は澄泉寺に幽閉され同年11月11日に切腹した。
元は徳山藩の衣笠伊織宅(この付近)に幽閉されたが、徳山藩主の子であるため岩国に護送され、11月12日に切腹し、波乱に満ちた50年の生涯を閉じた。
平成15年4月
周南市教育委員会
(説明板より)
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