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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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児玉家屋敷跡
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児玉家屋敷跡
児玉大将産湯之井戸

日露戦争で、満州軍総参謀長を務めた陸軍大将、児玉源太郎(1852~1906)は、嘉永5(1852)年2月25日にこの地にあった児玉家の屋敷で生まれました。
当時使用していた井戸が保存されており、「児玉大将産湯之井戸」の標石があります。
児玉家は源太郎の父半九郎の死後、安政5(1858)年に浅見栄三郎の次男、厳之丞(のちに次郎彦)を源太郎の姉久子に迎えて家を継がせました。
次郎彦は藩の大目付等を務めましたが、『正義派』の一人として活動したため、元治元(1864)年8月12日早暁、『俗論派』によってこの屋敷の玄関で非業の最期を遂げました。
次郎彦の死後間もなく、児玉家は藩の命令で家名断絶、屋敷は没収されましたが、『正義派』が政権をとるや、慶應元(1865)年7月13日、源太郎が家名を相続し、現在児玉神社がある場所に新しい屋敷が与えられました。
この屋敷跡は明治になって源太郎が買い戻し、当時の屋敷の一部を残して、大部分は近代的な児玉文庫としましたが、昭和20(1945)年、太平洋戦争中の徳山空襲で焼失しました。

周南市教育委員会

(説明板より)

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児玉文庫開設百周年記念

児玉源太郎は 1852年(嘉永5) ここ旧児玉家屋敷に生まれ 産湯を使った井戸は150年の風雪に耐え 今も保存されています。
その後 幕末・維新の動乱期まで郷里徳山で過ごし 徳山藩の献功隊の一員として 東北地方から北海道まで遠征しました。
ついで 佐賀の乱・西南戦争 日清戦争でも活躍し 特に日露戦争では満州軍総参謀長として 多大の戦功をあげました。
一方 陸軍大臣としてだけでなく 内務大臣・文部大臣・台湾総督などを歴任し 政治家としてまた文化人として多大の功績を残しています。
中でも1903年(明治36) ふるさと徳山のこの地に 後進を啓発するために開設した児玉文庫は 正に驚くべき快挙です。
児玉家を改装して開設した文庫は 近代図書館の先駆けをなすもので 当時のイギリスの新聞にも紹介され 徳山の誇りとする偉大な業績の一つです。
この由緒ある文庫は 誠に残念なことに 先の大戦ですっかり焼失してしまい  僅かに「児玉文庫」の門標に その面影をしのぶことができます
児玉源太郎の文庫に寄せられた愛郷心は 実に称賛されるべきもので その心は 広く市民に伝えていかなければなりません。
ここに 文庫開設百周年にあたり 記念碑を建立し その業績を称えるものです。

平成15年11月3日
児玉源太郎顕彰実行委員会

(記念碑・碑文より)



より大きな地図で 児玉家屋敷跡 を表示
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史跡 | 17:46:14 | Comments(2)
コメント
5月27日は日本海海戦記念式典必ず参加しておりました。
今年だけはどうしても参加できず残念でたまりませんでしたが、
重兵衛さんの、今回のブログで持続を感じ喜んでおります。
ありがとうございます。
三笠の甲板にてのパーティー、吹奏楽を聞きながらお抹茶もいただけ、
重兵衛さんが、近かったら是非ご一緒したいものです。
ちなみにお抹茶のお菓子はZ旗なのですよ。
2012-05-14 月 11:55:12 | URL | お染 [編集]
Re: タイトルなし
日本海海戦記念式典というのがあるのですか・・・
知りませんでしたぁ~
日米開戦記念式典ってのがあったら・・・マズイか・・・これ・・・(大笑)
機会があったら、是非ご一緒したいですねぇ~

2012-05-15 火 11:45:17 | URL | 野牛重兵衛 [編集]
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