投稿日:2012-04-19 Thu

本城三儒屋敷跡
本城三儒とは、本城家に三代にわたって偉大な儒学者が続いたのでこの名称がある。
三儒とは、紫巌・太華・素堂のことである。
紫巌(しがん)(1737~1803)は最初、萩の明倫館で山根華陽に学び、やがて江戸の滝鶴台で学ぶ。
帰藩してから天明5年(1785)鳴鳳館が創立されると学頭としてその発展に尽力した。
太華(たいか)(1775~1844)は、紫巌の子で、九州の高木紫溟や亀井南冥に学び帰藩して鳴鳳館の助教となり、更に世子広篤(後の9代藩主元蕃(もとみつ))の侍講となる。
素堂(そどう)(1825~1865)は、通称清といわれ、徳山藩士江村氏の出で本城家を嗣ぐ。
藩主元蕃の近侍兼文学師範をつとめ、政務にも参与した。
後に興譲館の教授となり更に世子元功(もとこと)の近侍となる。
平成15年4月
周南市教育委員会
(説明板より)
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