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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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回天発射訓練基地跡
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回天発射場跡

人間魚雷「回天」は太平洋戦争末期、戦局の劣勢を挽回しようと空からの「神風特別攻撃隊」とほぼ同じ時期に戦場に登場した。
この発射場は、93式魚雷試験発射のためのもので昭和12年に開設された。
それ以前の発射試験は呉市大入(だいにゅう)の発射場で行っていたが、大遠距離射線を備えたこの発射場が完成し、以後ここから発射した。
昭和19年9月1日、この地に回天基地が開設され回天の操縦訓練が開始された。
回天の訓練は、ここから発射場横の海面に運ばれ、熟練度に従って直線往復、島の半周、一周、停泊艦襲撃、航行艦襲撃等と搭乗員は猛訓練に明け暮れたのである。
その訓練は終戦の日、昭和20年8月15日まで続けられた。

(説明板より)

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回天発射訓練基地跡

この回天発射訓練基地跡は、昭和14年(1939)に建設された「九三式酸素魚雷」の発射試験場を、人間魚雷回天の発射訓練に活用したものです。
「九三式酸素魚雷」は、昭和8年(当時の日本暦2593)に製作されたもので、長さ8.5m、直径61cmで、速力は50ノット(およそ90km)で、世界で最も優れた兵器のひとつでした。
この魚雷の発射試験は、魚雷を調整工場(現大津島小学校地)からトロッコに乗せて、トンネル(隋道)を通って、ケーソン(鉄やコンクリート製の箱)で構築された発射台まで運び、天井クレーンで台の穴から海面に降ろして行われていました。
昭和19年9月5日から、この施設を利用して回天の発射訓練に使用することになりましたが、「九三式酸素魚雷」を改良して人が乗れるようにした回天は、長さ14.75m、直径1mあり従来の穴から降ろせないので、別にクレーン(起重機)を設置して、突堤から海面に降ろしました。
(今もクレーンの支柱跡が残っています。)
ここを起点として発射訓練が行われ、馬島回りのコースや大津島回りのコースなどがありました。
なおトンネルは当時のもので、長さ247m、入口の幅3.5m、高さ4mで、中央部の複線で広くなっている所には、当時を回想する7枚の大きな写真が展示されています。

周南市都市整備課

(説明板より)


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史跡 | 13:44:55 | Comments(0)
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