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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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岩国城
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岩国城天守閣由来

岩国城は、吉川家17代の広家公が慶長5年岩国に移封されてより建設が計画され、先ず最初に山麓に平生の居館を構え、ついで横山の要害を城と呼び、山麓の館を土居と称した。
岩国城は、慶長8年、二宮佐渡が鍬初めを行ない築城奉行に松岡安右ヱ門、祖式九右ヱ門、吉田宗右ヱ門等を任用し、5年の歳月を要して慶長13年(西暦1608年)に山頂の要害はことごとく完成し城藩制が定められた。

●築城当時の岩国城の規模
城山の尾根沿いに長さ180米、横に108米~54米、石垣の高さ5.4米、天守閣は桃山風の南蛮造りと言われ、四層五階で本丸の北隅にそびえていた。
この外に矢倉5棟、折り回し大門2門、埋門1門、井戸2掘があった。
横山側の前方を大手とし、御庄後方を搦手として錦川を隔てて北方に安芸境をにらんでいた。
元和元年(西暦1615年)6月、徳川幕府の一国一城の制により取り壊しにあった。
その後城跡は石垣の一部を残し荒涼たること約360年にして昭和36年3月復元工事に着手し、昭和37年3月に竣工したものである。

(説明板より抜粋)


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史跡 | 16:10:01 | Comments(0)
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