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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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慰霊塔
ireihi

<碑文>
太平洋に臨み多賀山地を背にして鮎川の両岸に成沢油縄子諏訪の大字三部落がありその一隅に忠魂碑があった
その碑は旧鮎川村出身の戦没者の霊を慰めるため大正年間建立されたものである
然るにその碑は昭和二十年八月終戦直後の混乱の中で姿を消したのである
爾来二十余年多賀町の一部となっていた鮎川地区はその後日立市と合併し今や発展の中心となりその様相は年と共に変貌しつつある
此の時にあたって旧鮎川村の有志相計り昨年八月戦没者顕彰会を結成し新たに慰霊塔を建立することを決議した
それは多くの人の心に迎えられ多額の浄財もまた寄せられた
事業は順調に進み明治百年の今年茲に荘厳な慰霊塔の建立をみるに至ったのである
此の地区に生を享けた多数の住民に代り西南の役をはじめ日清日露の両役満洲日華等の各事変太平洋戦争と幾多の戦役に従軍し或は又戦災にあうなどして尊い一命を捧げた戦没者は180名に達している
これらの犠牲者又その遺族の事に思いを馳せる時この地に安住する者は平和な郷土に波乱を呼んだその折々の厳しい現実を想起すると共に戦没者の霊に敬虔な祈りを捧げないではいられない
今や世界の平和を願う声は愈強く身命を捧げた犠牲者の悲願であった永遠の平和は人類共通の課題となっている
風光明媚な故山を後に再び帰る事のなかった戦没者の霊を慰めその悲願を察する事は祖国の再建を願う者務めでなければならない
戦没者の誰もが生前訪れたであろう由緒深いここ諏訪梅林の傍にこの慰霊塔が建立された事を機会に戦没者の悲願が人々の胸に甦えるならばその霊も亦安らかであろう
茲に慰霊塔建立の意義を明察してその由来を記して碑文とする
昭和四十三年三月二十日
茨城大学教授 瀬谷義彦 撰文
日立市旧鮎川村地区戦没者顕彰会々長 嶋崎秀俊 謹書

慰霊塔
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史跡 | 22:12:51 | Trackback(0) | Comments(0)
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