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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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宮地嶽八幡神社陶器製鳥居
DSC04985.jpg

(長崎県長崎市)

宮地嶽八幡神社(みやじだけやはたじんじゃ)
八幡町の陶器で出来た鳥居で有名な神社。
寛永20年(1643)、天台宗の大覚院存性坊という修験僧が高麗町(今の八幡町)に大覚院を創建、正保3年(1646)に山城国から本社八幡宮を勧請して院内に祀ったのが起源。
承応2年(1653)に社殿が創建されて以来、市民は八幡町の八幡(やーた)様として親しみ参拝者が多かった。
元禄6年(1693)、二代良宝院存慶は寺号を白鳩山南岳院大覚寺と改め、宝永元年(1704)、黄檗宗に転向したため、単一の黄檗宗下の大覚寺となった。
しかし、八幡神社は従来のまま境内に安置され、宝永5年(1708)に改修、正徳5年(1715)修繕、元文5年(1740)再建されている。
明治維新の際、八幡神社と改称、住職は神官となった。
明治11年(1878)福岡県宗像郡津屋崎の宮地嶽神社を勧請して以後、この名が通称されるようになったが、鳥居の額には「八幡」「宮地嶽」が併記してある。
明治21年(1888)に白地に呉須染付の陶製の大鳥居が奉納された。
この鳥居は有田の香蘭社制作によるもので、陶器の鳥居は全国でも有田の陶山神社、佐賀の松原神社、愛知県の瀬戸神社に見るくらいで珍しい。
昭和3年(1928)に初めて神幸式を行い御神輿を銭屋川の清水で清め遷宮祭を行った。
祭神は応神天皇、神功皇后。

(説明板より)

DSC04984.jpg


登録有形文化財 宮地嶽八幡神社陶器製鳥居
登録年月日 平成9年7月15日
この鳥居は、明治21年に有田磁器窯(じきがま)による大型細工でつくられた鳥居である。
親柱(おやばしら)部分に残る銘によって製造人が岩尾久吉(いわおひさきち)、角物細工人(かどものさいくにん)が金ケ江長作(かねがえちょうさく)、丸物細工人(まるものさいくにん)峰熊一(みねくまいち)であることが判明する。
有田に製作者が同一のものがひとつあるが、他に類例がない希少な存在として、平成8年10月に新しく文化庁が導入した文化財登録制度により、県内で初めて登録された。

長崎市教育委員会(平成10年3月設置)

(説明板より)

宮地嶽神社陶器製鳥居
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史跡 | 16:47:50 | Trackback(0) | Comments(0)
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