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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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留魂祠
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留魂祠(りゅうこんし)

一、祭神 南洲西郷隆盛先生
一、例祭 毎年9月24日

由緒

明治維新の英傑、西郷南洲(隆盛)勝海舟の両先生は、大政奉還後の江戸城の明け渡し交渉によって、江戸の町を戦火より救われ、首都東京の基を築かれたことでも著名ですが勝先生は、晩年、この洗足池畔(せんぞくいけはん)に洗足軒と呼ぶ別邸を設けられ、南洲先生と日本の将来について歓談されたと伝えられます。
南洲先生はその後、明治10(1877)年の西南戦役により、故郷鹿児島において子弟3千余と共に逝去されましたが、これを惜しまれた勝先生は、追慕のため南洲先生の漢詩を建碑(けんぴ)されさらに明治16(1883)年、その魂魄(こんぱく)を招祠して留魂祠を建立せられました。
留魂祠の名は、漢詩「獄中有感(ごくちゅうかんあり)」の「願留魂魄護皇城(ねがわくはこんぱくをとどめてこうじょうをまもらん)」に由来するものです。
この留魂祠は、もと東京南葛飾郡大木村木下川(現、葛飾区東四ツ木1-5-9)の薬妙寺境内にありましたが、勝先生の御遺志により、大正2(1913)年、石碑とともに現在の地へ移されました。
右隣には勝先生御夫妻の奥津城(おくつき)(御墓所)があり、維新の両雄は、いまもなほ相並んで我国の将来を見守っておられるのです。

南洲会

(説明板より)


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史跡 | 20:30:01 | Comments(0)
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