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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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三ノ丸の土塁
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三ノ丸の土塁

江戸時代の城郭は、幾重にも濠ほりや石垣、土塁で囲まれていた。
三ノ丸、二ノ丸と城内を区切るのは石垣と濠である。
「三ノ丸」と西曲輪くるわを区切っているのは、この背後にあるような土塁と濠だった。
石垣は多く残っているが、土塁がそのままの形で残っているのはこの付近だけである。
他の場所の土塁は、明治以降に石垣に変わったり、切り崩されていたりした。
ここの緑地帯は江戸時代には濠だった。
幕末の「藩士屋敷絵図」によると、濠の幅は8間半(約15m)となっているから、歩道の一部も濠だったことになる。
深さは5尺(約1.5m)だった。
このような土塁と濠は、江戸時代にはここから南へ、西小倉小学校下から、田町のはずれまで続いていた。
また、この付近に三ノ丸から西曲輪に出入りする田町口門があった。
その内側(中学校側)には門番屋敷があったように記されている。
この土塁の内側は高級武士の屋敷が立ち並び、曲輪には武士と町人が混住していた。

小倉北区役所

(説明板より)
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史跡 | 13:32:14 | Comments(0)
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