FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

旧第12師団司令部の正門・鉄門
458_convert_20111011122039.jpg

旧第十二師団司令部の正門・鉄門

旧第十二師団司令部の正門

明治8年(1875)に、歩兵第十四連隊が小倉に設置されました。
同18年(1885)、小倉城松の丸跡に、既設の第十四連隊と福岡の歩兵第二十四連隊を管轄する歩兵第十二旅団本部が開設されました。
ついで、日清戦争後の軍備拡張のため、同31年(1898)小倉、大分、久留米、佐賀の各連隊や下関要塞砲兵連隊をもって第十二師団が生まれ、その司令部庁舎が本丸跡に建てられました。
この煉瓦造れんがづくりの正門は当時のもので、明治32年(1899)6月から第十二師団の軍医部長を務めた森鴎外もこの門を通って登庁しました。
なお、司令部は軍縮により、大正14年(1925)、久留米に移転することになりました。

453_convert_20111011123633.jpg

鉄門くろがねもん

藩主及び家老など、ごく限られたものは槻門けやきもんをとおり、鉄門くろがねもんはそれ以外の武士などの登城口でした。
現在、一部復元していますが、中央部目地めじの左側が幕末時の石垣と階段であり、落城時の様相を示すように石垣が火熱ひねつを受けて赤く変化しています。
(当時の階段の幅は約2.1メートルでしたが、防犯上の関係を考慮して幅を2倍に広げています。)
ここからは、鉄製鎧片てつせいよろいへん、中国製磁器、三階菱文様丸瓦さんがいびしもんようまるがわらなどが出土しています。

北九州市教育委員会

(説明板より)
スポンサーサイト





史跡 | 19:19:30 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する