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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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岩松助左衛門翁顕彰碑
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あゝ白洲燈台
白洲燈台創建者 岩松助左衛門顕彰碑

開門海峡の西口、響灘に浮かぶ白洲は、古来より海難事故が絶えず、多くの人命が奪われた西国第一の難所であった。
企救郡長浜浦の人 岩松助左衛門翁(1804~72)は18歳で庄屋を継ぎ以来41年間これを務めた。
その功績から59歳にして小倉藩より海上の御用掛「海難船支配役」を命じられた翁は、海難防止のため自力でこの難所に燈籠台(燈台)建設を志した。
幕末動乱の世情の中、私財を投げ出し、その上莫大な借金を背負い千辛萬苦の日々であったが、「不立腹」を胸に、燈台建設への執念は消えることなく、苦節8年、明治3年基礎工事を完成させた。
その後事業は明治新政府に引き継がれ、明治6年9月西洋式燈台として完成。
しかし翁は前年の明治5年4月25日不帰の人となり、自らの情熱を傾けた燈台の点灯を見ることはなかったのである。
「世のため 人のため」の信念を貫き通した翁の人道的精神は、海原遥か照らす白洲燈台の一条の灯りとともに、我々に遺された貴重な財産として永久に消えることはない。

岩松助左衛門 長浜郷土会

(碑文より)




白洲灯台岩松翁記念塔

この塔は岩松翁が、設計した白洲灯台を模したものです。
翁は、幕末から維新の変動期、己の名声のためでなくただ海難事故防止のため、響灘の難所、「白洲」に灯台を建設するため一生を捧げた郷土の偉人です。
昭和38年、5市合併により北九州市誕生に合わせ翁の偉徳を偲ぶと共に水難救助のため尽くした功績を後世の市民に伝えるためこの地に建てられました。

(説明板より抜粋)
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史跡 | 18:43:03 | Comments(0)
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