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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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床屋発祥の地
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床屋発祥の地 由来

鎌倉時代の中期(1264~73) 亀山天皇に仕えていた京都御所の北面の武士従五位ノ下北小路蔵人之頭藤原基晴は 宝刀の紛失事件の責任をとって職を辞し 三男采女之亮政之を連れて宝刀探索のため 当時蒙古襲来で風雲急を告げていた長門国下関に下った
基晴親子は当時下関で髪結をしていた新羅人からその技術を学び 従来の武士を客とした髪結所を開いた
店の床の間には亀山天皇と藤原家の先祖を祭る祭壇があったので下関の人々はいつとはなしに「床の間のある店」転じて「床場」さらに「床屋」という屋号で呼ぶようになった
「床屋」という言葉は下関が発祥地となりその後全国に広まっていった
藤原基晴は弘安元年(1278)に没し市内の尊念寺に葬られた
采女之亮は床屋を続けながら宝刀の探索を続けそのうち豪商の協力により遂に宝刀を探し出して天皇に奉還した。
その後鎌倉に移り住み幕府から京都風の髪を結う髪結職として重用され 屋敷も賜り代々その職を受け継いだ
時は流れて元亀3年(1572)17代目の藤七郎の時 武田信玄との戦いで敗退中の徳川家康を助けた功績により江戸開府後 江戸八百八町の髪結職の営業権を与えられ また橋見守役や火事の時は奉行所の重要書類搬出などの役目も仰せつかった
時に二代将軍徳川秀忠が「四民髪ヲ結ウハ勝手ノコト身ヲ綺麗ニスルハ長寿ノ元ナリ」というお触れ書を出してから庶民はこぞって髪を結うようになり 男髪結職と女髪結職が急に増え 日本独特の髪型が流行し始めた
江戸時代の風俗文化は髪結職により創り出されたとも言われている
歌舞伎役者の髪型や衣装は 当時の女髪結職の芸術性の豊かさを物語るものである
床屋の開祖 藤原采女之亮政之の功績を讃え かけがえのない史実を後世に伝えるためここに記念碑を建立した

平成7年7月17日
下関理容美容専修学校 理事長・校長 小野孝策 撰
           石工 長府 中村重雄

(碑文より)
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史跡 | 14:10:02 | Comments(0)
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