FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

碇と壇の浦
374_convert_20111008143936.jpg

海峡守護『碇』の由来

水天皇大神安徳天皇をまつる赤間神宮は、関門海峡の鎮めの神と仰がれています。
今を去る800年の昔、源平壇ノ浦の戦いに平家の大将知盛は全てを見収め、碇を背に海中深く御幼帝のお供をして、竜宮城へ旅立たれました。
それより『碇知盛』の名で能や歌舞伎に演じられ、勇将振りがたたえられています。
このいわれをもとに、海参道の入口を選び現代の碇を奉納し、御祭神のみたまを慰め、海峡の平安を祈るものであります。

昭和60年5月2日
源平八百年祭を記念して
寄進 下関海洋少年団

(説明板より)




謡曲「碇潜いかりかづき」と壇の浦

謡曲「碇潜」は、平家一門の修羅の合戦の模様とその悲壮な最後を描いた曲である。
壇の浦の古戦場を弔いに来た旅僧が乗り合わせた渡し舟の漁翁ぎょおうに軍いくさ物語を所望する。
漁翁(実は平知盛たいらのとももりの幽霊)は能登守教経のとのかみのりつねの奮戦と壮烈な最期を詳しく語り跡の弔いを願う。
旅僧の回向えこうに導かれるように勇将知盛の姿が現れ、安徳天皇を始め一門悉ことごとく入水するまでの経過と、自らの修羅の戦いの有様や碇を頭上に戴いて海中に飛び込んだ知盛の幻影を旅僧は見たのであった。
という構成を持つ「舟弁慶」の類曲である。
壇の浦は急流で知られる関門海峡の早鞆の瀬戸に面した一帯をいう。
平家滅亡の悲哀やその最後を美しくした総帥そうすいの面目と情趣に想いの馳せる海岸である。

謡曲史跡保存会

(説明板より)
スポンサーサイト





史跡 | 13:38:08 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する