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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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本陣 伊藤邸跡
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本陣 伊藤邸跡

伊藤家は鎌倉時代から続く下関屈指の名家。
室町・江戸時代には港町下関の指導者的な地位にあり、この地に広大な邸宅を構えていた。
室町時代は、下関の交通・流通などを掌握して朝鮮交易も行い、江戸時代には大年寄として町政を司る。
また、本陣を兼帯して九州諸大名の参勤時の休泊所となり、各藩の用達も行った。
特に対馬宗氏つしまそうしとは前代から親密な関係にあった。
伊藤家はオランダ宿として名高い。
江戸に参府するオランダ商館長は、伊藤家と佐甲家の二つの本陣を下関の定宿とした。
歴代当主は進取の気性に富み、開明的であったが、なかでも文化・文政期の当主杢之允盛永もくのじょうもりながは、熱烈なオランダ趣味の人で、ヘンドリック・ファン・デン・ベルグというオランダ名を名乗り、ヅーフ、ブロンホフなどの商館長と親しく交際した。
佐甲家に宿泊した商館医のシーボルトも杢之允から歓待されている。
また、幕末の当主杢之助もくのすけ(静斎せいさい)は吉田松陰と交際し、助太夫すけだゆう(九三きゅうぞう)は真木菊四郎まききくしろうや坂本龍馬を支援した。
とりわけ、慶応2・3年頃の龍馬は伊藤家を活動の拠点としていた。
近代初頭の明治5年6月、伊藤家は明治天皇の西国巡幸時の行在所となり、本陣としての最後の役割を終えた。

下関市

(説明板より)

龍馬とお龍が生活した
本陣 伊藤邸跡

幕末の当主助太夫すけだゆう(九三きゅうぞう)は、龍馬の活動を物心両面から支えた人物です。
龍馬と助太夫(九三)との関係は、龍馬が薩長同盟実現に向けて下関を尋ねた慶応元年(1865年)に始まりました。
以来、龍馬は下関を訪ねる度に伊藤家を寄宿先とし、慶応3年2月10日からは、同邸の一室「自然堂」を借り受け、愛妻お龍とともに暮らし始めます。
伊藤家では、龍馬の朝帰りにお龍が激怒することもありましたが、夫婦で歌会に参加するなど、仲睦まじい日々を送りました。

平成22年8月吉日
下関市長 中尾友昭
下関市観光施設課

(説明板より)
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史跡 | 12:01:32 | Comments(0)
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