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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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集童場場長室
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集童場しゅうどうじょう場長じょうちょう

集童場は、長府藩士福田扇馬ふくだせんまが文久2年(1862)、南之浜の自宅に開いた私塾 桜柳亭おうりゅうていを母体とし、元治元年(1864)3月、藩士熊野則之くまののりゆきが中心となり、古江小路ふるえしょうじの益田宅を集童場と命名。
身分の別なく広く藩内年少の子弟(10~17才位)の教育を行ったいわば長府の松下村塾しょうかそんじゅくとも言われた。
総督そうとく(場長) 熊野則之
総監そうかん(相談役) 福原和勝
教授 福田扇馬
   熊野九郎
   金子四郎
設立当時は三十数人で発足したが、1年後には百数十人にも増えた。
慶応元年(1865)2月、裏侍町にあった旧藩校敬業館けいぎょうかん跡に移転、名実とも長府藩の学校となったのである。
さらに明治2年(1869)藩校敬業館に併合され明治5年2月まで存続した。
集童場で学んだ子弟は、乃木希典のぎまれすけをはじめいずれも明治・大正時代に様々な分野で活躍した。
この建物は、古江小路に在った集童場の場長室を昭和3年(1928)、所有者伊藤氏から寄贈を受けここに移転保存したものである。

平成5年3月
下関市教育委員会

(説明板より)
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史跡 | 16:46:41 | Comments(0)
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