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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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功山寺仏殿
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国宝(建造物)
功山寺仏殿
桁行三間、梁間三間、一重もこし入母屋造、檜皮葺
指定年月日 昭和28年11月14日

鎌倉時代末期の唐様(禅宗様)建築様式の典型的な建造物です。
床は四半瓦敷しはんかわらしき、礎石と柱の間に木製の礎盤を入れ柱は上下部分が細く粽ちまき型になっています。
見事な曲線美を見せる檜皮葺、入母屋造の屋根を支えている化粧棰けしょうたるき天井中央より放射状に配置され、扇棰おうぎたるきとも呼ばれています。
また、二重屋根の内部の組み上がりの高さが異なった箇所を補うために海老紅梁えびこうりょう(梁と同意)が用いられています。
さらに前面両角には釣鐘つりがね型の特徴をもった花頭窓かとうまどを有するなど、わが国最古の禅寺様式がよく残されており、鎌倉の円覚寺舎利殿同様、寺院建築史上、貴重な建造物です。
この仏殿は、内陣柱上部に「此堂元應二年卯月五日柱立」の墨書があることから、西暦1320年に建てられたものとみられています。
功山寺はもと臨済宗・長福寺と呼ばれていましたが、毛利秀元により曹洞宗・笑山寺と改称、さらに慶安3年(1650)秀元の没後、戒名(功山玄誉大居士)をもって功山寺と改称しています。

平成5年7月

山口県教育委員会
下関市教育委員会

(説明版より)

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史跡 | 12:24:50 | Comments(0)
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