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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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中津藩蘭学の光芒
中津藩 蘭学の光芒
豊前中津医学史散歩

著者:川嶌眞人
西日本臨床医学研究所発行
平成13年3月5日 第1刷
定価:2,500円+税

僻陬(へきすう)の医学者 村上姑南(こなん)

中津藩の種痘

三浦梅園も感動、模写した人身連骨眞形図(じんしんれんこつしんけいず)

華岡青洲と大江雲澤

殿さまが出版した二つの蘭語辞書
蘭語訳撰
中津バスタード辞書

「ウヲールデンブック(釈辞書)といふものなし」

中津城に中津藩の蘭学者コーナー
蘭学好きの殿さま
時代の先駆者を次々と輩出
村上医家史料館のこと

寺町散策

戸早春村と蔵春園
人間臭い医者に育ってほしい
蔵春園の俊才、春村
蔵春園のあとを訪ねて
『屈伸感応の理』
詩文にすぐれた戸早春村

根来東麟(ねごろとうりん)と根来家について
ご子孫、根来正輝氏との出会い
空海が持ち帰った目の医学
根来東叔が人体の骨を観察
中津藩医となった根来東麟
東麟の子孫たち
ご先祖を守る根来正輝氏

華岡青洲と中津
マンダラゲの花咲く青洲記念公園
「内外合一、活物窮理」
世界初の全身麻酔手術
シーボルトを凌ぐ外科医
唯思起起死回生術
名手駅のマンダラゲ

村上姑南と種痘
ジェンナーの種痘から200年
亀岡八幡社の姑南顕彰碑
豊前三才子
“医”の前に“修養”
自学して痘法をためす
青少年教育に尽力
弟子たちとの絆

田中信平(田信)について
田信の住居跡碑除幕式
外科医兼料理研究家
文化人にして豪放磊落

田代基徳と中津
きっかけは天児先生のひとこと
適塾から西洋医学所へ
従軍の傍ら、医学書も出版

山国町の献体解剖
登久の墓を訪ねる
九州初の献体解剖
献体1号、遊女・美幾の恋心

華岡青洲とマンダラゲ
中津で咲いたマンダラゲ
古くから伝わる薬効
マンダラゲの教え

島津重豪(しげひで)と中津
進取の気性に富んだ重豪
シーボルトとの交流
並はずれた体力、気力、向学心

オランダ正月について
江戸時代のオランダ料理復元の宴
14種類のフルコースを堪能
半世紀近くつづいた「新元会」
蘭学の足がかりは新井白石
田沼意次の登場
規制緩和を行った意次の功績

福澤諭吉と医学
諭吉との縁
適塾で蘭学を学ぶ
欧米でも病院を視察
西洋医学普及への情熱

和田豊治と村上田長
村上田長に可愛がられた“豊さん”
同郷人とのつながり
富士紡再建
すぐれた教育者・政治家、田長
師父の恩義に報いる
清廉の実業家

蘭学訳撰と中津
辞書のない中での翻訳
  部数30の『江戸ハルマ』
イロハ引きの日蘭対訳書
  神谷家は赤穂四十七士の血縁だった
オランダでも活用された『蘭学訳撰』
蘭語訳撰原本の所在

『人身連骨眞形図』中津に帰る
根来家の人骨図
連骨図の発見、展示へ

藤野玄洋と中津
謎の多い人物、藤野玄洋
父は種痘普及に活躍した藤野啓庵
オランダ人軍医・ボードインに師事
ミチと結婚
中津医学校附属病院院長に就任
大分医学校設立にも貢献
下関への移住
ミチを残して大阪へ
歴史の舞台になった春帆楼

奥平昌高と中津藩蘭学
1600年4月19日、黒島(臼杵市)にリーフデ号漂着
蘭学の始発点は中津藩中屋敷
前野良沢を長崎に留学させた3代・昌鹿
フレデリック・ヘンデリックの蘭名をもつ5代・昌高
蘭学普及のために辞書を編纂
蘭学のために45歳で隠居

出島の生活
復元が進む出島
軟禁状態だった出島の生活
何もない島

三浦梅園と中津
寒村の大哲学者、三浦梅園
相模国三浦の出自
綾部絧斎、藤田敬所に師事
条理の研究は「益無し」と敬所
詩にみる梅園の交友
「人骨図」との出会い



今年の読書:61冊目

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読書 | 22:09:31 | Comments(0)
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