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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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慰霊祭
例大祭終了後、直ちに我が戦車第二師団の慰霊碑の前で慰霊祭を挙行する。
“マエダ会長”は比島観音奉賛会の役員を兼任しているので、そちらが優先・・・・
というわけで、テーブルの設置から焼香台、供物、椅子の設置は全て拙者一人で行なわなければならない。
毎年のことではあるが・・・なにかと忙しい・・・(笑)
用意が出来たら、参列者の方々には着座して頂き、僧侶を待つ・・・
僧侶が到着したら、拙者が司会をして慰霊祭の開催となる。
特に式次第があるわけではない・・・・行き当たりばったりの司会である。(笑)
更に記録用の写真も撮らねばならない。
あれやこれやを短時間で処理しなくてはならないので頭の中は大混乱となるのだが、ミスをするわけにはいかないというこの緊張感!
毎度のことながら、この緊張感がたまらないのである。(笑)

今年の参加者は事前の連絡では拙者を含めて11名であったが、同伴者が2名追加となり、合計13名での慰霊祭となる。
同伴者も加わって頂いたことで人数が増えて格好がつき、ありがたいことである。
特に中学生のお孫さんが参列してくれたのは嬉しかった。
彼は、何が何だか分からず“おじいちゃん”に付いて来たのだろうけど・・・
彼の思い出の中にこの慰霊祭が残ってくれたら有難い。

DSCF2736_convert_20110705231648.jpg

今回の慰霊祭には戦車第11連隊戦友会(士魂会)の事務局長さんも参加される予定だったが・・・
結局、不参加・・・・
事の始まりは、今年の1月に靖国神社の会報に我が戦友会が年始の挨拶の広告を出したことに始まる。
この広告を見たこの事務局長さんが「今でも戦友会が活動しているのですか」と我が会長に連絡してきたのである。
そもそも戦車第11連隊は我が戦車第2師団の隷下の部隊だったが、途中で、この部隊だけが北千島へ派遣されて分かれてしまった。
現地で終戦を迎えたが、終戦のドサクサに紛れてソ連軍が上陸し、終戦後にもかかわらず戦闘を強いられたのである。
残る我が戦車第2師団はその後、フィリピンのルソン島で米軍と戦いながら現地で終戦を迎えた。
戦った場所は違うが、もとは同じであるから・・・
お互いの戦友会も会員が減ってさびしい状態なので、これからはお互いに行き来しようではないかという話に発展した。
ここ比島観音境内にはフィリピン戦に関係した慰霊碑がずらりと並んでいるが、この境内敷地外にはフィリピン戦とは無関係の部隊の慰霊碑がたくさん建立されていて、その中に戦車第11連隊の「士魂碑」もある。
まずは初めてのことなので、先方には我が戦友会の慰霊祭に参加して頂き、我が戦友会でも先方の慰霊碑のお参りをしてお互い交流をしようということで、我が会から先方の慰霊碑にお花を供えさせていただいた。

DSCF2735_convert_20110705233840.jpg

ところがである・・・・
この三ヶ根山頂に来るのに、ヒッチハイクで来るというのである。
おい、おい、それでは何時に着くか分からんじゃないか?
会長の話によれば、送迎バスがあるので、それに乗って来て欲しいと言ったところ、送迎が終わった後に来るつもりだそうで、ヒッチハイクで行くと言い張ったようである。
ヒッチハイクなどで来れる場所ではないのは重々承知のことだと思うのだが・・・
(自分の会の慰霊碑があるのだから過去に何度も来て知っているはずである)
ヒッチハイクと言えば、それでは申し訳ないからと、こちらが迎えに出ると思ったのかもしれない。
しかし、我が会長は例大祭の受付担当、拙者は戦友会の受付担当で動けない。
とてもじゃないが山の下まで迎えに行く余裕はないのである。
それを伝えても承知しないらしい。
加えて到着時間がどうなるかわからないと言いだしたそうで、こちらの慰霊祭が終わった頃に来るような話をし出したという。
あれ?それでは慰霊祭に参加するという話はどこへ行ったのか?
更に決定打が・・・・
弔辞を用意したので、それを慰霊祭で読み上げさせてもらいたいというのである。
弔辞・・・すなわち「追悼の言葉」は、我が会の会長の役目なので、そういうわけにはいかない。
その中で戦車11連隊の話も織り込むので、それで了承してもらいたいと会長から話したそうだが、納得されない。
「出番を作ってくれないなら、わざわざ行く必要はないから行くのはやめた」と捨て台詞を吐いたらしいのである。
かなり自己顕示欲の強い方のようである。
何時に行くかわからない、迎えに来ないならヒッチハイクで行くから慰霊祭が終わる頃到着するだろう、弔辞を読むという出番を作ってくれないなら行かない・・・・とは、なんという我儘だろう。
相手に敬意を表するなら、相手の慰霊祭、当然、比島観音例大祭の開会前には現地に到着するのが礼儀ではないか?
同じ“事務局長”として呆れるほかはない。
そもそも事務局長とは縁の下の力持ちではなくてはならないと拙者は思うのである。
自己主張をして自分が目立つことより、会をうまくとりまとめて運営することが、その職務だと思うのである。
当然、他の会との交流に関しても、うまくやっていくことを考えるのが事務局長の役目であろう。
が・・・
「曙光会」といい、「士魂会」といい、どうしてこれらの会の事務局長は我儘で自己中心で自己顕示欲が強いのだろうか?
例の「曙光会」の事務局長の“ホンマさん”はお父さんが戦死された「遺児」である。
「士魂会」の事務局長さんも「遺児」である。
こう言っては失礼だが、「遺児」だからなのか、それとも世代的に問題があるのか?
更に驚いたことに、当日、この戦友会の会員数名(かなりのご高齢な方と女性)が来ていて、自分達の慰霊碑の参拝をし、我が会長に挨拶して帰って行ったという。
拙者のところには挨拶に来なかったので分からなかったが・・・
会長の話によれば、事務局長から「代わりに行って自分のところの慰霊碑をお参りして来てくれ」と言われてきたが、我が会とのいきさつは全く知らないとのことだったという。
あらら・・・なんという非常識・・・・
自分より年長者の会員に命令しておいて自分は行かないとは・・・事務局長にあるまじき行為ではないか?
こういうことでは、お父さんという方がどの程度の人物かと疑われてしまうのではなかろうか?
「息子を見れば親が分かる」・・・・・
戦死した父親の顔に泥を塗ってはいまいか?
呆れたお方である・・・・
我が会が用意したお花は無駄金を使ったことになったが、こちらはこちらで筋を通し礼を尽くしたのだから、それで良しとしようと会長と話し合う。
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日記 | 12:56:15 | Comments(0)
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