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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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桑木崇明とその兄達
父陸軍中将桑木崇明とその兄達父陸軍中将桑木崇明とその兄達
(2004/06)
桑木 崇秀

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桑木崇明(くわきたかあきら)という軍人を知る人は少ないと思う。
私の祖父の上官だった方である。
祖父は昭和11年、2・26事件後の留守第1師団の土肥原賢二留守司令官の副官をしていた。
2・26事件の決起部隊が含まれている第1師団は満州へ移駐したため、その留守業務をおこなうのが留守第1師団である。
昭和12年、土肥原さんが宇都宮の第14師団の師団長に転出する時に、祖父を連れて行こうとしたところ、「土肥原がそんなに気に入っている副官なら、是非そのままここに置いて行け」と言ったのが後任の桑木さんだったと祖父から聞いたことがある。
「連れていく」「いや、置いて行け」と揉めているうち異動時期が過ぎてしまい、結局、祖父は桑木さんの副官となった。
本書を読んで初めて知ったが、桑木さんと土肥原さんは陸軍士官学校の同期だったそうだ。
だから、言いたいことが言えたのか・・・と納得した。
祖父がよく「桑木閣下」という言葉を使っていたのを覚えている。
「閣下」という響きが、小学生の私には新鮮に聞こえた。
土肥原さんの事は知っていたが、桑木さんという方がどういう人なのか知らなかったので、祖父に訪ねたが「おじいちゃんのことをな、とてもかわいがってくれた方なんだ」としか話してくれなかった。
小学生に詳しく話しても仕方がないと思ったのだろう。
今でも祖父が「桑木閣下」と呼ぶ声が耳に残っている。
留守第1師団長から北支の第110師団長へ転出する時に、祖父は副官として一緒に転出した。
このことからも、かなり気に入られていたようである。
本書には桑木閣下が書かれた「半生記」が載っているが、残念ながら出生から第110師団転出までのところしか書かれていないので、第110師団の頃の事は知り得ない。
その後、桑木さんは師団長から予備役となる。
後任の師団長は飯沼守中将。
祖父は、桑木さんが去った後、そのまま師団に残り飯沼さんの副官となった。
桑木さんが書き遺したメモ程度の「出動日記」によれば、昭和14年12月8日に後任の飯沼さんと引き継ぎを行っている。
ここで祖父は日本へ帰る桑木さんとお別れしたんだろうと思っていたが、「12月26日、鈴木副官出発」という1行が書かれていた。
祖父は桑木さんと一緒に日本に一時帰国していたようである。
「出発」とは、北支へ向かって出発(戻って行った)ということだろう。
本書で祖父の事が書かれているのはこの1行だけであるが、それでもなぜか嬉しい。
20年前に他界した祖父が蘇る。
桑木さんが昭和20年12月6日にお亡くなりになっていることを本書で知った。
祖父は終戦で降伏し、フィリピンの捕虜収容所に収容されていた頃である。
更に驚く事を知る。
昭和61年に中国の天津在住の馮雨泉という人から、本書の編者である御子息が手紙を受け取っている。
この方は第110師団長時代に桑木師団長の通訳をしていた方で、桑木さんが亡くなられていることを知らずに桑木さんに手紙を送ってきたそうだ。
戦後、かなり経ってからの手紙には驚いたことであろう。
残念ながら桑木さんは既に終戦の時にお亡くなりになられている。
編者の御子息は昭和62年に中国でこの方に会い、当時の第110師団長官舎に行っている。
師団長の通訳ならば、副官だった祖父の事もよく御存じなのではないか?
そう思ったが、昭和62年の頃の話である。
もうあれからかなり経つ・・・・
会えるものなら会いたいなと思ったが・・・無理だろう。
が・・・祖父が生きている時にこの本が出版されていたらなぁ~と残念である。
もうひとつ、驚く記述に触れる。
「出動日記」の昭和14年12月29日の項に「小林一男戦死ノ報アリ」の1行、2月1日のところには「小林大佐遺骨帰京」の1行・・・・
この小林大佐は騎兵第14連隊連隊長の小林一男大佐のことではないか。
小林大佐は中国の内蒙古、包頭ちかくの「前口子」というところで昭和14年12月21日戦死している。
私は平成19年に戦友の比留間さん(故人)と現地に行ったことがある。
小林連隊長の戦没地を探したが、当時の家屋はどこにも見当たらず、あのあたりだろうか・・ということしかわからなかった。
まさか、小林連隊長の御名前が出てくるとは思わなかった。
それにしてもどうしてなんだろう?
桑木さんは砲兵出身のはずである。
小林大佐は騎兵で、兵科が違う。
片や陸軍中将で、片や陸軍大佐で階級も違うから同期ということはありえまい。
どういう接点なんだろうか?
わざわざ小林大佐が戦死したことを記すということは・・・・

本書は読んでいて、「面白い」本ではない。
桑木さんの「我が半生記」は「昔の言葉」で書かれた現代人には読みづらい個人記録である。
また、「出動日記」は1日1行のメモ程度のもの。
また、後半の部分は桑木家の内輪の話だし・・・
桑木さんと何らかの縁ある人でないと読んでもよくわからないし、つまらないかもしれない。
編著者の御子息もこの本を世に出すことに躊躇されていたことを序文に記されている。
確かに一般受けしない本であることは間違いないが、縁ある私にとっては貴重な本である。
この本を世に出してくれたことに感謝。
願わくば、祖父が生きている時に祖父に見せてあげたかった・・・・
こういうことは大いにあるだろう。
「個人的な記録だから・・・」と世に出すことを遺族は考えまい。
そのまま何十年も埋もれたまま、もしくは廃棄されてこの世から消滅しているかも・・・
一般受けしないものでも、貴重な記録である。
この世には、何らかの縁ある人もいるだろう。
その人にとっては、たった1行でも貴重な資料になりえるのだ。
こういう本は本当に貴重な存在だと思う。


序文・・・・・桑木崇秀

我が半生記・・・・・桑木崇明
1、出生
2、小学より中学へ
3、広島幼年校時代
4、中央幼年校時代
5、砲兵聯隊へ
6、士官学校時代
7、新少尉
8、日露戦役従軍
9、砲工学校より陸軍大学へ
10、参謀本部より露国へ
11、再び参謀本部より欧洲へ
12、陸大教官の5年
13、砲兵聯隊長
14、参謀本部課長
15、旅団長の1年
16、台湾生活
17、砲兵学校の半歳
18、参謀本部々長
19、留守第1師団と支那事変勃発

出動日記第2冊・・・・・桑木崇明

予備役編入以後の日記・・・・・桑木崇明

玉村の記・・・・・桑木崇明

父の残像・・・・・桑木崇秀

父の兄達と祖父について・・・・・桑木崇秀

もう一つの桑木三兄弟
桑木兄弟・・・・・桑木巌翼
桑木雄著『黎明期の日本科学』跋・・・・・桑木 務

資料Ⅰ 桑木家家系図

資料Ⅱ 桑木崇明履歴

あとがき・・・・・桑木崇秀



今年の読書:39冊目

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読書 | 12:08:15 | Comments(2)
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2014-01-19 日 16:35:45 | | [編集]
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2017-07-13 木 21:15:09 | | [編集]
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