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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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地震だ!
明日、上京するので、その準備・・・・
この間、マニラに行った時撮影した写真をプリント中のこと・・・・

まもなく3時になろうかという時で、何かおやつでも食べようか、コーヒーでも入れようかと思っていた途端・・・
ガタガタと地震が起こった。

2階の拙者の部屋では、揺れ方で地震の震源地がおおよそわかる。
ユッサ、ユッサ、ユッサ・・・という時は、福島県以北が震源地である。
ユッサ、ユッサ、ガタガタガタ・・・という時は福島県。
机の前に座っていて、背中から感じるときは福島方面、自分の前の方から感じるときは千葉方面の地震である。
ドン!ガタガタガタ・・・という時は、茨城県沖が震源地、特に我が町の沖合が震源地の時が多い。
ドン!がなくて、ガタガタガタだけだったら、茨城県内陸部である。
ニュースの地震速報より早く震源地を言い当てて今は亡き母に報告なんかしていたが・・・
だいたい9割くらいは当たった。
今までで思い出に残っているのが、新潟中越地震(平成16年・2004年・10月23日)である。
夕方、いきなりガリガリガリ・・・というかなり大きな揺れを感じた。
いつものガタガタガタならわかるが、ガリガリガリという異常な揺れだった。
こんな揺れは初めてだったので震源地はわからず、ニュースを見たら新潟の方だというので驚いた。

さて、本日のこの地震は・・・・
ユッサ、ユッサ、ガタガタガタ・・・の部類だったので、東北の方が震源地だなと思っていたが、いつまでたっても揺れが収まらない。
反対に段々揺れが激しくなってきて、家がねじれるような揺れとなってきた。
こりゃ、やばい!
急いで部屋を飛び出したが、携帯電話を忘れたことに気が付いて部屋に戻って携帯電話を掴んで再び飛び出し、階段を駆け降りる。
もう、この時点では立っているのもようやくという感じである。
この時に座り込んでしまったら立ちあがることは出来なかったろう。
2階より1階の方が揺れが少ないような感じだが、それでもガタガタガタと猛烈な揺れである。
廊下の奥・・・台所に立ちすくんでいる親父を発見!
「出ろ!外に出ろ!外に出ろ!」と叫んで玄関に向かう。
玄関の扉が開かなかったらどうしようと一瞬思ったが、うまくすんなりと開いた。
で・・・玄関を飛び出した瞬間・・・
玄関脇の大谷石の塀が崩壊!!
ギョェ~!!
駐車場に面した塀だったので、2台ある車のうちの1台に崩れた大谷石が一瞬寄りかかり、地震の揺れの中で崩れ落ちたので、サイドミラーが粉砕・・・・車体側面に一直線に凹みが出来た。
ほんの一瞬の出来事なのだろうが、何故かスローモーションのように記憶に残っている。

道路上ではお婆さんがへたり込んで座っていた。
とにかく、家の前の十字路の真ん中に出て来て一息つく。
近所の工場から数名が飛び出して来て、隣りの4階建てのアパートからも数名が飛び出して来ていた。
ようやく揺れが収まって、部屋から出てきた方々もいる。
あまりの揺れで外に出るに出られなかったらしい。
全員が女子供である。
男連中はみなさん仕事に出ていて不在だから仕方がない。
気が付けば男は拙者と親父だけ・・・
親父は人付き合いが全くダメなので、家の前から動こうともせず、アパートの連中の所には近付かない。

しばらく、ドシン!グラグラと・・・・大きな余震が続く。
これじゃ家の中には入れない。
1時間以上も外で様子を見る。
そろそろ日が暮れはじめるころである。
「避難所はどこになるんですか?避難所に行きましょうよ!避難所に行けば毛布や食べ物をもらえるんでしょうから!」と言いだすオバチャンがいる。
「あのね・・・震災1時間ほどで避難所が動くわけないでしょ?」
「そうなんですか?毛布や食べ物なんかがもらえるんですよね?早く行ってもらいましょうよ!」
被災者根性丸出し・・・
拙者が大嫌いな団塊の世代のオバタリアンである。

「それより、これから寒くなりますから、部屋に戻って毛布と懐中電灯、何か飲み物、それとお菓子か何か食べ物を取って来て下さい」と指示を出す。
こういう時には何故か青年会議所当時の“おせっかい”(拙者はリーダーシップだと思っているが・・・)がムクムクと頭をもたげて、みんなに“命令”(笑)
一斉に部屋に戻ろうとするので、「各部屋ごとに時間をずらして行ってね!万が一の時に誰が部屋に閉じ込められたかわからなくなるから!」
「××号室、行ってきます!」
「了解!」
「××号室の人が戻ってきてから次の人が行って下さい!」
・・・と、言っているのに、勝手に我先に部屋に向かう人がいる。
おい、おい、しらねぇよ~
余震でアパートが傾いたりしても、どこの人なのかわからないから助けられないぞ。
こういう時に勝手に動かれるのは迷惑なんだけど・・・・

「鍵をかけてきたんですけど、それでいいですよね?」と質問された。
ん?ドアに鍵をかけてきたのか?マズイんじゃないか?
「次に大きな地震が起ってドアが歪んだら開けられなくなるから鍵はかけておかない方がいいんじゃないですか?貴重品を持って来られるなら今のうちに戻って持ってきて!」と答える。
(多分、これが正しいと思うのだが・・・)
このやり取りを聞いていた人が騒ぎだした。
貴重品を持ち出していないという。
部屋の中が滅茶苦茶で、どこにあるのかわからないという。
「火が出たわけじゃないんですから、慌てることはないですよ。捜すのに時間がかかるようなら諦めて、できるだけ部屋には戻らないように!」

テクテクと歩いて来たオバサンが「避難しているんですか?」と尋ねてきた。
何を間抜けなことを聞くのかと、話を伺ったら・・・・(笑)
ちょうど電車に乗っていたそうで、猛烈な揺れで危うく脱線するのではないかと思ったという。
1時間ほど車内に閉じ込められたあと解放されて、線路伝いに歩いて来たという。
どうも列車事故だと思ったらしい。
歩きながら周囲の様子がおかしいので、もしかして外に避難するほどの地震があったのかと思ったらしい。
行き先を尋ねたらかなり遠くに自宅があり、そこへ戻るんだという。
「余震で塀が倒れる可能性があるから、塀には気をつけて帰って下さい!」と声をかけて見送る。

まもなく日が暮れてきた。
またもや避難所騒ぎである。
「とにかく、小さな子供がいるお宅は避難所へ行っておいた方がいいでしょう」
「避難所はどこですか?」
さて・・・阪神淡路大震災後に青年会議所では災害時の避難所のマップを作ったのだが・・・
あれは、拙者の部屋の前の廊下の壁に貼ってあるので手元にはない。
え~と・・・記憶によれば・・・学区ごとに各小学校か中学校だったような・・・
我が町内は学区の一番端にある。
自分の学区より、隣りの学区の中学校の方が近い。
それにしても、避難所の場所を誰も知らないというのには驚いた。
「歩いて行くには、うちの学区じゃなくて隣りの学区の中学校の方がいいでしょう」
「車じゃだめですか?」
わけがわからん質問である。
「車を使うって・・・道路は大渋滞でピクリとも動いてないですよ。歩いたほうがいいですよ」
「歩くんですかぁ~車のほうがいいんですけど・・・だめですか?」
「あのね、車で行って、その車・・・どこに駐車するんですか?停めるところなんかないでしょ?」
「あっ・・そうか・・・」

日本人と結婚した東南アジア系の奥さんが、2人の小さな子どもと乳母車に乗せた赤ちゃんと一緒にポツンとしていた。
どうも我々の輪の中に入れないでいる様子。
声をかけたら御主人は神戸に出張中で不在とのこと。
「あなたは、小さな子供がいるのだから避難所に行きなさい。向こうへ行けばもし子供に何か異変があっても助けてもらえるから・・・ここじゃ救急車も呼べないからね。」と指示を出す。
できるだけアパートの住民は一つにまとまって避難所へ移動するように指示したが・・・
「私は別行動を取りますから・・・」と言いだす若夫婦。
おい、おい、あんたら若い者が助けてやらなくてどうするんだ・・・と言いたくなったが・・・
協調性のない人間の集合体がアパートの住民だと思えばいいか・・・
別行動をとるという人間の面倒までは見られない。

東京にいる妹や姪っ子、甥っ子からメールが入るが、こちらからの返信が出来ない。
電話が繋がらないのである。
妹から電話が入り「何度も電話をしているのに!」と怒られたが、怒られてもねぇ~(笑)
俺のせいじゃないもんね!
とにかく無事だということを伝える。
着信が出来ても発信が出来ないというのは不便である。
しかも、携帯のバッテリーも、どれほどもつか・・・不安である。
停電のため充電は出来ない。
バッテリー温存のため電源を切る。
最悪の状況になったら助けを求めるのに必要だろうから・・・温存せねば・・・・

と・・・ふと気が付いた・・・
他人の面倒を見ていて自分の事を忘れていた。(笑)
「親父!外で待ってろ!毛布なんかを取りに行くから!一緒に入ってくるなよ!万が一の時は助けを呼びに行ってもらわねぇとならないからな!」
頼りにならない親父を頼りにせねばならない哀しさよ・・・(大笑)
余震が来ないことを祈るのみ。

毛布と懐中電灯、車のカギ、財布、そして・・・タバコ!(笑)を持ち出す。
アパートでは冷蔵庫までが倒れて部屋の中は滅茶苦茶だったとか。
しかし、我が家は、これといってそれほど荒れていない。
拙者の部屋なんぞは普段から散らかっているので、地震で散らかったのかどうか判別し難い。(大笑)
ただ、本棚から2mも離れているベッドの上に本が飛んでいたのには驚いた。
親父はスリッパのまま飛び出したので、靴に履き替えるついでに台所へ行ってもらい、お菓子類を持ち出してもらう。

避難所へ行くメンバーがようやくまとまる。
「あなたも行きますよね?」と団塊の世代のオバタリアン。
「ん?俺?俺は残りますよ」
「え?残るんですかぁ~」
「赤ん坊や小さな子供が優先!避難所もかなり人が集まって混雑しているでしょうから・・・元気な人は残った方がいいでしょう」
やっぱり、どうしても被害者意識の強い人は考える事が違う。
「何かもらえるでしょうから~私は行きます」・・・・(唖然である)

今晩は車の中で一夜を明かすことにする。
親父の我儘が始まった・・・・
「寒いからエンジンをかけろ」「もっと温度を上げろ」「テレビをつけろ」・・・
しかも車内の持ち込んだお菓子をボリボリ食べている。
「あのね・・・そのお菓子・・・3日間はそれで食いつなぐんだからな!」
「ん?そうなのか?たくさんあるから大丈夫だろう」
「俺の分は?・・・それ、2人で分けるんだぞ!」
「あ・・・そうか・・・」
自分のことしか考えていないのには参った。
今晩の拙者の夕食は煎餅2枚である。
被災後の3日間が勝負である。(これは常識!)
3日間、なんとかもたせれば、あとは何とかなるだろうというのが拙者の“読み”である。
だから、初日からチビチビとやらねばならない。
ガソリンは満タンだが・・・・
6時間もアイドリング状態で、しかも暖房に車内TVまで使っているんだからガソリンの残量が心配である。
夜10時、一度エンジンを止めたら、「寒くて眠れねぇ」と親父から文句が出る。
毛布を2枚も渡しているのに・・・・なんという贅沢な・・・
しかもホッカイロも使っていながら・・・・である。
これでは先が思いやられる。
情ねぇ予科練出身者だ。
「ガソリンはいざという時に東京へ脱出するために残しておくんだから節約するからな!」

日が暮れてからは1時間おきぐらいに車内に出て懐中電灯を持って近所を巡回。
アパートの住人に鍵をかけておくなと言った手前、巡回しないわけにはいくまい。
これで泥棒にでも入られたら最悪である。

「夜は焚き火でもして暖をとりますかぁ~」と呼びかけたが、誰もそうしようと応えてくれず、避難所へ行かなかったアパートの住人たちはそれぞれ自分の車の中に籠ってしまっている。
こういう時に、焚き火を囲んでコミュニケーションを図るといいのだが・・・
折角の機会に“引きこもり”とはねぇ~・・・・もったいない・・・・

結局、一晩中、見回りをしていて寝られなかった。
「私も一緒にやります!」という人が誰も出てこなかったのは悲しい・・・
所詮、アパートの住人なんてそんなものか・・・
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日記 | 23:17:52 | Comments(0)
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