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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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東部方面慰霊巡拝
今日はガダルカナル島の東部方面へ慰霊巡拝に行く。
朝食を取って・・・・
毎度、毎度、食事の度に写真を撮るので参加者の皆さんから笑われるのだが・・・(笑)
だって、これも・・・旅の記録なんだもん!
旅から帰ってくると・・・さて、現地では何を食べていたんだろう?・・・って、忘れているんだよね~
だから、記録として残しておくのです!(笑)
たいして大事な記録ではないのですが・・・(大笑)

DSCF0881_convert_20110131175513.jpg DSCF0883_convert_20110131180443.jpg

最初に向かったのが「テテレ・ビーチ」
この「テテレ海岸」は、米軍が上陸した海岸の一つだそうだ。

DSCF0894_convert_20110201203218.jpg(テテレ・ビーチ)

「タイボ岬」は一木支隊や川口支隊が上陸した場所だが、陸路では現地には行けないそうで、船で海上から向かうしかないのだそうだ。
というわけで・・・この「テテレ・ビーチ」から遠くにわずかに見える「タイボ岬」を見るだけとなる。
現地に行けないというのは何とも残念・・・・

DSCF0898_convert_20110201220818.jpg(遠くに見えるのがタイボ岬)

ここから少し内陸部に入ったところに米軍の水陸両用トラックの残骸が30台近く放置されている。

DSCF0908_convert_20110201203911.jpg(米軍の水陸両用トラック)

この敷地内に小屋がある。
この土地の持ち主の小屋で、これらの米軍の遺棄車輛の監視小屋も兼ねているのかな?
ここにいた人達と、ちょっと会話を交わす。
彼らが英文で書かれた資料を見せてくれたのだが・・・
どうも話によると、この海岸に上陸した米兵の一人が戦後、ここに来て、この資料をくれたのだという。
その人は、この人だ・・・と写真まで見せてくれたが・・・
彼らの説明がイマイチわからない。
ここに上陸した米軍は全滅して、この人は唯一の生き残りなのだと言っている(・・・ように聞こえる)。
おかしい・・・
上陸した米軍が全滅するような激しい戦闘がここで行われたのか?
どのくらいの兵力が上陸したのか知らないが・・・・
一人を除いて全ての米兵が戦死したなんて信じられないんですけど・・・
もしかしたら、自分の小隊なり分隊が全滅して、自分一人が生き残ったという意味かも・・・
いや、いや、当時は誰も死んでいないが、戦後、仲間はみんな死んでしまい、今生き残っているのは自分一人だ・・・という意味かも。
とにかく戦後ここにやって来た元米兵がそう言っていたのだと現地の人が言っているようなのだが、彼らが元米兵の話を聞き間違えている可能性はある。
いやいや、彼らの話を拙者が聞き違えている可能性のほうが大かも・・・・(大笑)
拙者は英語が大の苦手だからなぁ~(笑)
そんな話を少しして、バスに戻って次の場所へ・・・・

次は「テナル」という場所・・・・
ここには学校なのか教会なのか、その敷地内に「一木支隊」の慰霊碑がある。
一木支隊は歩兵第28連隊を基幹とした部隊なので、我々福岡の歩兵第124連隊の遺族会とは直接関係はないと思うが、ここで慰霊祭をすることとなる。
皆さんが慰霊碑の廻りを掃除して祭壇を準備している間、拙者は怠けて・・・(笑)
すぐ目の前にある民家の住人たちの所へ行く。
バスに乗っていきなり現れた集団に怪訝そうな顔をしていたからである。
彼らに挨拶し、日本から戦没者の慰霊に来た団体であることを伝える。
こういうのは拙者がやるようなことではないかもしれないが・・・
周囲にいる現地人に何の挨拶もせず、言葉もかけずに・・・というのは、いかがなものだろうかと思うのである。
拙者が彼らの立場だったら「なんだ、こいつら・・」と思うだろう。
どういう団体で、何しに来たのかを話しておけば、相手も嫌な顔はしないだろう。
「あ~日本から来たんですかぁ~」と彼らもにこやかに応えてくれた。
これで・・・よし。(笑)

DSCF0925_convert_20110201220016.jpg(一木支隊の慰霊碑前で慰霊祭)

次に向かったのは「イル川」という場所。
この川の河口付近で一木支隊がほぼ壊滅した。
その近くに「一木支隊奮戦之地」碑が建っている。
みなさんが慰霊の準備をしている間、拙者はまたもや怠けて(笑)海岸へ出てみる。
お世話係をしてくれている“ダニエルさん”と、彼の息子の“ブランドン君”(8歳)も同行。
“ブランドン君”は、かなりの甘えん坊かな?(笑)
ずっと慰霊団に父親と同行してくれているが、父親にピッタリくっ付いて離れない。(笑)
人見知り屋さんでもあるのだろう、参加者が声をかけても恥ずかしがって父親の後ろに隠れてしまう。
まぁ、無理もないかも知れない・・・・
爺さま、婆さまの(失礼!)の慰霊団にずっと付き合うのも退屈だろう・・・と思い・・・・
海岸の木の下に落ちていた松ボックリのような実を“ブランドン君”に「グレネェ~ド!!(手榴弾だぁ!)」と投げつけたら“乗って”きた。(笑)
途端に、戦争ごっこである!
「バババ・・・ドドド・・・バキュ~ン、バキュ~ン!」
近くに落ちていた木の枝を銃に見立てて戦争ごっこ!(笑)
拙者はこの枝を軍刀に見立てて「突撃!」

DSCF0943_convert_20110203120012.jpg

イル川の河口付近で“銃撃戦”と“チャンバラ”ゴッコ・・・
このイル川は日本軍は「中川」と名付けていたが、米軍側は「アリゲータークリーク」と呼んでいた場所で、一木支隊が進撃を阻まれて全滅した場所。
海岸に一木支隊の兵の死体が累々と横たわっている写真は有名である。
そういうところで“戦争ゴッコ”とは不謹慎かも・・・と、思ったが・・・・止められない。(笑)
他の参加者はまだ海岸に来ていないので、まぁ、いいだろう・・・
さすがに運動不足の50歳中年男にとって、海岸の砂浜を走るというのはキツイ・・・
が・・・“ブランドン君”は大いに楽しんでくれたようなので良かった。
いつか彼が大人になった時に、拙者とここで戦争ごっこをしたことを思い出してくれたら有難い。
拙者のことは忘れても・・・日本人と遊んだことを思い出してくれたらそれでいい。
なぜ、ここで戦争ごっこをしたのか・・・・
この場所がどういう場所なのか・・・大人になって理解してくれたらありがたい。

DSCF0947_convert_20110203124653.jpg

まもなく、鎮魂碑のところで慰霊をするというので戻る。
その後、参加者は海岸へ・・・・
拙者は鎮魂碑の場所に残り、拙者とは入れ違いとなる。
おかげで写真が撮りやすい。

次に向かったのは「ムカデ高地」・・・・
空港のすぐ近くの南側にある高地であるが、「ムカデ」と名付けられたのは、ムカデのようなクネクネとした形の高地だから・・・ということらしい。
ここに第2師団と川口支隊などが突撃をした。
ここに第2師団の慰霊碑がある。

DSCF0979_convert_20110203125227.jpg

この第2師団の慰霊碑から少し離れたところに、以前、川口支隊の慰霊碑があったという。
現在はホニアラ市内に移転し、今は台座の部分が残っているだけ。
ここで慰霊祭を執り行う。

DSCF0989_convert_20110203125745.jpg

DSCF1003_convert_20110203135111.jpg(ムカデ高地の一部)

手元に詳細な地図がないので、自分がどのあたりにいるのかがわからないが・・・・
丘の斜面を突撃した日本兵が死体の山を築いたという場所はどのあたりなのだろう・・・
以前、“シミズくん”と宇都宮へ史跡巡りに行った時、偶然、那須少将のお墓に出遭ったが・・・
その那須少将が戦死したのはこのあたりだろうか?

午前中の巡拝慰霊はここで終わり。
一旦、ホテルに戻り昼食をとる。

先ほど、イル川でバスに乗り込む時に“ブランドン君”に「お前は敵だからバスには乗せない。ここでバイバイ~!(笑)」
とからかったら、今度は拙者がバスから締め出された。(大笑)
おい、おい、勘弁しろよぉ~(笑)
参加者からは「なんであの子はあなただけには懐いてるんでしょう?」と質問されたが・・・・
戦争ごっこをしてましたとは答えられない。(笑)
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旅行 | 17:48:48 | Comments(0)
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