投稿日:2009-11-14 Sat
![]() | 烈士と呼ばれる男―森田必勝の物語 (文春文庫) (2003/06) 中村 彰彦 商品詳細を見る |
昭和45年11月25日、三島由紀夫が市ヶ谷台で割腹自決をした時に、一緒に自決したのが、本書の主人公である森田必勝である。
この事件は当時小学生だった拙者にとっては、大きなショックだった。
担任の“オオウチ先生”が、森田必勝が三島由紀夫を介錯したこと。介錯というのは日本刀で首を刎ねること。森田というのは、すごい剣の使い手だ・・・・などという話をしてくれたことが記憶に残っている。
“首を斬り落とした”という話は、ショッキングで、今でも、この話を聞かされた時の風景が記憶に残っている。
だから、森田必勝という人は、すごい人なんだなぁ~とずっと思っていたのだが・・・・
本書を読んでみて意外にも、拙者が思い描いていた人物とは正反対の人物だったことを知った。
正直言って「失望」である。
同時代に彼と会っていたら、絶対彼とは付き合わなかっただろう。
決して軽蔑しているわけではない。
48歳の自分から見て、当時の彼が幼稚だと思っているわけでもない。
理解しがたい部分と、大いに理解できる部分が共存しているのだが、「理解できる部分」があるから、逆に失望に転じてしまうのかもしれない。
当時、小学生だった拙者にとっての「憧れの人物像」が、ガラガラと崩れたのである。
これは、48歳になって拙者自身に「純粋性」が無くなったためなのだろうか?
とにかく拙者が抱いていた人物像ではない・・・・
この「三島由紀夫事件」は、昭和史に残る一大事件なのだが、本当に「三島由紀夫事件」と名付けていいのだろうか?
本書でも触れているが、この事件は三島由紀夫が森田必勝に“引きずられて”発生した事件ではなかろうかと思うのである。
この死への旅路では、師弟関係は逆転していたのではあるまいか?
「師」が森田で、「弟」が三島・・・・
三島由紀夫が森田に出会わなければ、もしかしたら、このような「自決」はしなかったのではないだろうか?
本書は別の角度から「三島由紀夫事件」を見た好著である。
題名の中の「烈士と呼ばれる」というのも意味深である。
「烈士と呼ばれた」という過去形ではない。
これはどういう意味か・・・・分かる人には分かる・・・・
第1章 名物学生
第2章 ノサップ
第3章 惜別の時
第4章 市ヶ谷台にて
第5章 野分の後
今年の読書:60冊目
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