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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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盛岡城跡
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国指定史跡
盛岡城跡

所在地 盛岡市内丸1番地ほか
指定年月日 昭和12年4月12日

盛岡城は、三戸8さんのへ)から不来方(こずかた)に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶなお)(盛岡藩初代藩主)が、慶長2年(1597)に嫡子利直(としなお)(2代藩主)を総奉行として築城を始めたと伝えられ、翌慶長3年(1598)の正式許可の後、築城工事が本格的に進められました。
城の縄張りは豊臣家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ、北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵に本丸・二の丸・腰曲輪(こしくるわ)などを配し、それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪(うちくるわ)(御城内・ごじょうない)としています。
さらに、内曲輪の北側は起伏の激しかった現在の内丸(うちまる)地域を平坦にして堀で囲み、南部氏一族や藩の家臣たちの屋敷を配置して外曲輪(そとくるわ)としました。
また、外曲輪の中津川対岸の城下を堀で囲み、武士や町人たちの屋敷街である遠曲輪(とおくるわ)(総構え・そうがまえ)が配置されています。
築城工事は、北上川や中津川の洪水にみまわれながらも続けられ、築城開始から36年後の寛永10年(1633)二南部重直(なんぶしげなお)(3代藩主)が入城して以来、藩政時代を通じて盛岡南部氏の居城となりました。
盛岡城は、廃藩置県(はいはんちけん)の後明治5年(1872)に陸軍省所管となり、明治7年(1874)には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され、城内は荒廃しましたが、明治39年(1906)に近代公園の先駆者である長岡安平(ながおかやすへい)の設計により岩手公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。
平成18年(2006)には開園100周年を記念し、「盛岡城跡公園」と愛称をつけました。

平成21年10月 盛岡市

(説明板より)


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史跡 | 11:25:44 | Comments(0)
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