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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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棚倉城跡に行く
さて・・・・途中でおにぎりを食べたが・・・・腹が減った・・・・(笑)
時刻は2時半・・・・どこかで飯を食おう!
ということで・・・中華店に入り遅い昼食を取る。
なにせ・・・ここは田舎である。
そのうち、どこか食事ができる場所があるだろうなどと言いながら走っているうち、なにもないということになる。
こりゃダメだ・・・ということでUターンして、道を戻り改めて食事場所を探すという無駄な行動を取ってしまった。(笑)
で・・・結局、この店となる。(最初からここに入ればいいものを・・・笑)

DSC03024_convert_20090919231119.jpg(あんかけ焼きそば)

拙者はなぜか初めて入る中華店では焼きそばを頼むことが多い。
なぜだかわからんが、とにかく焼きそばになってしまうのである。(笑)
で・・・初めて入る蕎麦屋の場合は・・・あればカツ丼・・・ということになる。
初めて入った店で蕎麦を食べることは滅多にない。(笑)
自分でもわからないが、変なこだわりがあるのである。

食事を済ませて、ようやく棚倉城跡へ・・・・
7年前に来た時より周辺が整備されている感じ・・・・
前に来た時はこんな感じだったっけ?(笑)
拙者の記憶は結構いいかげんである。

わずかに、あの時はあまり写真を撮らなかったことだけが記憶として残っているのみである。
よって今回は・・・写真を撮るが・・・・いい構図が見つからない!(笑)
だから写真をあまり撮らなかったんだっけと気が付く。
棚倉城は寛永2年(1625年)に丹羽長重(にわながしげ)が築き始めた城である。
で・・・慶応4年(1868年)、戊辰の役で・・・確か、板垣退助の率いる軍の攻撃を受けて落城したのである。
本丸跡にある公民館へ行き、資料が何かないか職員の方に尋ねて、残り少ないリーフレットをもらう。
「展示室は見ましたか?」と尋ねられる。
ん?そんなものがあったのか?
公民館の中に展示室があるとは知らなかった。
立ち寄ってみて正解である。
ここを見学して、お城の土塁のところにある「元帥畑俊六終焉之地」の碑を見に行く。
ここがなぜ畑俊六の終焉の地かというと・・・・
昭和37年に、この棚倉町の忠霊塔の除幕式に畑俊六が来て、祭文を読み終えて席に戻った時にお亡くなりになられたようなのである。
碑文には「焉星と化して昇る」という表現をしているので、死因は不明だが・・・
心臓発作であろうか?

DSC03044_convert_20090919234317.jpg(元帥畑俊六終焉之地の碑)

棚倉城跡を見学後、蓮家寺ヘ行く。
特にこれといったものはなかったが・・・・
墓地に、戊辰の役の土佐藩士の墓があったり、ガダルカナル島で戦死した陸軍の兵士の墓があったりと結構拙者としては感動ものであった。

続いて、都々古神社に行く。
日本武尊がでてくる時代の古い神社らしい・・・・(笑)
が・・・特にこれといったものはなかった。

お寺や神社をやたらとお参りするので、お賽銭をそのつど賽銭箱に入れるものだから、とうとう10円や5円といった小銭がなくなった・・・・(笑)
おいおい、100円は多すぎるだろう・・・・(笑)
“シミズくん”とドライブする時は10円玉をたくさん持って行かねばならないなぁ~こりゃ・・・


より大きな地図で 畑俊六終焉の地 を表示
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日記 | 13:04:59 | Comments(0)
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