FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

佐々宗淳の墓
DSC02882_convert_20090721152724.jpg

佐々宗淳の墓
市指定史跡

水戸黄門漫遊記で親しまれている「助さん」は本名は佐佐宗淳(さっさむねきよ)といい、字(あざな)を子朴(しぼく)、通称を介三郎、十竹と号した。
本姓は良峰(よしみね)氏であったが、その祖が佐佐成政の妹を妻とした縁で佐佐氏を名乗った。
15歳で京都妙心寺の僧となり、祖淳と号した。
僧として約20年つとめたが、感ずるところあって還俗(げんぞく)、江戸に出て延宝2年(1674)徳川光圀に仕え、進物番兼史館勤務となり、義公修史のことに従事した。
彼の業績は史料の採訪収集でその史跡は畿内は勿論(もちろん) 北陸・中国・九州などまでも及び貴重な文書記録を集めたことである。
また義公の命で下野の那須国造碑の修復、同所の上下侍塚の発掘調査とその復原等に当たったことは特筆されよう。
元禄9年(1696)彰考館総裁をやめ、小姓頭として西山荘の光圀に仕えたが、元禄11年6月3日59歳で没しこの地に葬られた。
墓碑は養子の藤蔵宗立が建て、撰文は格さんこと安積覚澹泊である。

常陸太田市教育委員会

(説明板より)

佐々宗淳の墓
スポンサーサイト





史跡 | 11:25:16 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する